~お彼岸の墓参~
九州に生まれ九州でほぼ晩年を過ごした義父母です。
当然ながら九州の生家に近い菩提寺に葬ってあげることが最良だと思っていました。妻は一人っ子で兄弟姉妹がいません。そして現在、妻は茅ヶ崎市に住んでいます。義父母にとって孫に当たる次世代人(3人しかいませんが)も、当然のように首都圏で新所帯を持っています。お墓の護りをできる人もいない場所にお墓を建てても寂しい思いをさせるだけですが、義理の息子としては踏ん切りを付けることは至難の課題でした。なぜならば、古いしきたりの中で生き存えた義父母の親戚縁者はほぼ全員が生誕地の周囲で生活をしているからなのです。
ところが血縁の濃さが強いモノがあることを体験することになりました。
長男(義父母にとっては「孫」)の一言で決まりました。「僕が祖父母のお墓を護りたい」の言葉は古い親戚縁者の心を動かしました。偶然と言えるのか「ご縁」と言えるのか、長男嫁の実父は僧侶です。宗派の問題もありましたが、長男の固い決意でその壁を越え、長男の住む地に墓所を整え義父没後の四十九日の法要には立派なお墓も完成しました。墓守を長男一家が務めてくれています。
今春のお彼岸。
妻の具合が本調子ではないことと数日間の「春の大嵐」という天候の関係で、「春のお彼岸」墓参は断念しました。長女・次女の家族が長男宅に集まって大勢で義父母の墓参りをしてくれたようです。妻は電話で「ありがとう。ゴメンね」の言葉を繰り返していました。電話の向こうでは孫達が「いとこ同士」の再会に興奮している弾んだ声が聞こえたようです。
妻は、自宅にある小さな仏壇に「ぼたもち」を作って備えていました。春は「牡丹の花」にちなんで「ぼたもち」と言い、秋は「萩の花」にちなんで「おはぎ」と言うんだそうですね。恥ずかしながら知りませんでした。孫たちに訊かれたら「知ったかぶり祖父ちゃん」として、この説明でもしましょうかね(笑)。
「元気になったら桜の花でも見る傍ら、お墓参りに来れば良いさ」との長男の優しい一声で妻も安堵したようです。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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