~「禊ぎを受ける」って?~
言葉に表現すると心地よいモノとそうでないモノとがあるようだ。
どんな気分でブログにその言葉を使用したのか、当のご本人が曖昧であるから始末悪い(笑)。事の発端をふり返ってみるに、今回の出講は今までの何百回かの講演とは事前体制から少々趣が違っていたようである。更に内面を細かに追求すると、勝手な内面活動の流れ方が異なっていたのである。硬い表現になったので読者の皆さんによっては全く理解の範疇にないかも知れないので、講演前日からの行動を再現することによって証明いたしましょう。(そんな大袈裟なことでは無い!!)
お請けした講演日時はは2月28日(日) 9:30~10:50。
茅ヶ崎の自宅を出発して当地に向かったのは前日(27日)。つまり前日入りの前泊日程である。ここまでは従来の講演対応行動と同じリズムである。しかし、講演前泊の場所が通常とは異なる。通常の前泊は講演会場の至近距離にあるホテルであるが、今回は講演会場の隣市に住む長女の自宅である。この館には「目に入れても痛くない」(?)孫達が棲息している。しかも、何度訪れても大興奮・大歓迎の手荒い歓待が待っている。今回も思いも寄らない行動が待っていた。
右の写真はその物的証拠。「おばあちゃん たんじょうび おめでとう」というチョコレート板に書かれた文字が目に飛び込んだ瞬間から、「想定内」の動きに完璧なまでに引きづり込まれてしまった。1週間遅れではあるが、確かに老妻の××歳の誕生日は存在した。誕生日の当日は、偶然にも長男宅に行っていた老妻は、そこの孫軍団によって手作りケーキで祝って貰ったようだ。そして、この夜。思いがけないという表情の老妻の感極まった表情に、凡庸な老夫は「講演前夜」であることをすっかり忘れてしまった。正真正銘のプライベートな時間に浸ってしまったのである。老妻が感涙に噎ぶほどの感動への具体的な仕掛けはここでは省略することにしても、こんな講演前夜を過ごしたことは、ついぞ無かった。
ホテルの自室での「講演前夜」は、予め主催者に送信したレジュメを原案にして作成している「手持ち資料」を持参のパソコンで確認し、字句の修正から項目別の「所要時間」まで丁寧に思案する時間を確保するのが常套手段である。そして、確認(納得の無いままに寝る事も多いが)して就寝である。
いかが?この温度差の大きいこと。
そして、講演会当日。通常は主催者から差し向けられた「公用車」がホテル玄関に付けられ会場へと誘導される。今回は長女婿が運転手で向かう先は、長女婿の母校である。通い慣れた懐かしい通学路を走る。通常は主催者の方とは初対面で車中で挨拶代わりに簡単な打ち合わせすら済ませることもある。緊張感のなかで車は移動する。今回は、昨夜の老妻(姑)の興奮した光景が主な話題になる。講演の「こ」の文字すら無い。当然至極のように婿と団欒しながらの会場到着。婿の幼友達も主催者の役員として出迎えを受ける。バッグに偲ばせたレジュメや手持ち資料に一瞥する間もなく会場の講師席に誘導される。こんなことは初めてである。あったとすれば、小生自らの「母校での講演」を請けた時ぐらいだろう。
更に大事件(笑)は、会場の最前列に孫二人と婿が陣取っていることであった。会場には老妻も長女も駆けつけていることは承知していたが、流石にこの二人の姿は最後尾付近にあるらしく演壇からもかなり遠い。掲載した上の写真2枚は最前列に座った孫娘が撮った写真である。
講演で禊ぎを受ける?
当方流の考えは、公私のけじめが見えないままの講演をすることへの内的心情を問題とする自責の念なのである。そんな状況下で「公的な時空」を過ごしてしまうのは非礼極まることではないのか、との葛藤だったのである。確かに「禊ぎを受けた」実感が脳裏を刺激し、反省だらけの講演であったことは否めない。参加者の中には終始「私語を楽しむ」光景があったことが今も脳裏から離れることはない。公私混在した自己紹介でアットホーム的な雰囲気でスタートしてしまった「講師の甘え」を反省する。これも確かなる「禊ぎを受けた」証だと自認している朝である。
ただ、他の会場では得られなかった「歓びと感謝」の思いが大きかったことは文末に添えておきたい。娘一家が、このご当地で可愛がっていただいている感謝の気持ちだけは多くの聴講者の、一人でも多くの方にお伝えしておきたい。
今後ともよろしくご指導いただけるようお願いいたします。有難うございました。最後になってしまいましたが、主催者関係ご一同様に心より御礼申し上げます。
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