2010/03/28

新・歩禅記(17)



  道端にも春の花爛漫
 近所の人に声をかけられて立ち止まった妻との距離が空いたので待つことにした。
 追いついた妻が「大事に育ててらっしゃるから今年もきれいね」と言う。その視線を追うとこの写真である。歩禅コースを数種類決定する中で、この花の咲き誇る場所は幾つかのコースの共通通過点である。ビニールハウスでトマトを栽培しておられる農家の敷地内の通路側である。
 どうやら小生には春の景色は「上を向いて歩こう」視線で「桜」しかないようだ(笑)。
 道端の手の届くところにも手入れの行き届いた春の花がきれいに咲いているではないか。この歌壇作りについての妻の説明を聞きながら、ビニールハウス栽培をなさっている農家の主の話に展開した。そこに我が長男が登場した。小学校低学年の頃、雨が上がって用がなくなった傘で遊びながら帰宅した悪童連中(長男もその一人)。ビニールハウスを突いて穴を開けて愉しんだらしい。かんかんに怒った主が、我が長男に注意をされたようだ。やっていなかった(と長男は訴えた?)長男は涙を流しながら「ごめんなさい」と言ったのでその場は解放されたそうだ。数日後、またその悪童連中は同じ悪戯を続けたらしい。運良く(笑)、長男はその日は帯同していなかったらしく、捕まった(?)友人達が「やったのは僕たちだけで角田くんはやっていなかった」と話したそうだ。夕刻、農家のご主人が「間違って叱ってしまった」とお詫びに来られたと言う。もう30年近く前のお話しだ。妻の記憶力に感心しながら聞いた。母親の記憶は「子育て」の苦労話に連動するのかも知れない。昨日の出来事のように話す妻(母親)の母親たる所以を感じながら父親の関わりの薄さを痛感した。

 そんなはなしも、あ~ったねと・・・・。「時代」の変遷を感じる。妻はこのビニールハウスの側を通るとふと子育て時代の思い出が走馬燈に浮かんでくるそうだ。殆ど「家庭教育」に加担しなかった小生には、道端の春爛漫も気づかない。この通りはマイカー通勤路でしかなかったのである。
 めぐる めぐるよ 時代はめぐる・・・ 何十年前の話も、また今日めぐって来た。(7000歩) 
 写真上段の記事は尊敬する白川好光氏の論稿である。夫婦の絆?厳しい指摘ではあるが、確かに大切な「人生哲学」なのかも知れない。氏の生い立ちから紡ぎ出される言葉の一つ一つに頭が下がる。ご参考にご一読願いたい。クリックすると大きな文字に変わります。

 

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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