~無理しないでノンビリ楽しく・・~
わかってはいてもこの哲学を実行するのは難しい。
しかし、無理しないでノンビリできる人には他の分野の哲学実践が難しいのかも知れない。現職時代にこの哲学実践には何度か挑戦したことがある。周囲の知人や友人には小生の性分はどのように映っていたかは定かではないが、自問自答しながら窮してしまったことが何百回とあるのだ。しかし、「そんな風には見えない」と片付けられたことが多かった。どうしてなんだろうか?
「ま、いいか!」「何とかなるよ!」と自らに言い聞かせてその気になってしまうのは確かに小生の得意芸であることは事実。一晩眠ったら(=眠れない夜は65年間の人生で記憶無し)、昨日の出来事への不安と心配は確実にどっかへ消えている。人呼んで「能天気な人」となる顛末。しかし、誤解無きように添えておこう。小生だって、人並みに悩みもし苦しみもする。自暴自棄にもなる。ホンと!!
今日の『ぽかぽかニュース』は、障害のある方のお話し。
外見や造作は人並み以下の小生(笑)ではあるが、人生そのものではこの記事の主人公とは月とスッポンの違いがある。ご苦労は推察は出来るが深意への言及は出来ない。また、薄っぺらい同情などご迷惑なことだろう。しかし、身体にハンディをお持ちの方々が懸命に自らを鼓舞なさっている現状を知るにつけ、観るにつけ、健常である我が身の甘え(甘さ)を痛感せざるを得ない。反省!
つい2週間も前のこと。他県で活躍していた校長仲間(正確には「後輩」)が、突然の衝撃メールを送信してきた。我が目を疑いつつメールの内容を追った。いつも意欲的な奮闘ぶりをメールで受信していた後輩なので、今までに見たこともない使用言語が羅列されているメールに愕然としてしまった。どうしたの?この急変ぶりはどうして?今まで、ついぞ聴くこともなかった表現に狼狽が先行した。
その後、毎日のように受信する文面から、校長職としての苦悩が伝わって来る。経験者として十分に理解できる世界での出来事である。専門医へ受診し、指導助言を受けているとのこと。職場から気持ちの解放が一番の良薬だと忠告を受けていると記してある。その通りにしたいのだろうが出来ないので苦しいのかも知れない。多分そのジレンマで自らとの葛藤が続いているのだろう。
能天気な性格には最適なアドバイスが出来ない。苛立つだけの小生。せめて、「無理しないでノンビリ楽しく生活をして欲しい」と願うばかりである。
この記事の『心ぽかぽか』温度を届けてあげたいモノである。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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