我が子の成長時期ほど 親の心の葛藤はメジャーなどでは測れない。
価値観のズレは「育った時代」の差以上に感じる。こんな筈じゃなかったと親としての不甲斐なさに押し潰されそうである。何もかも投げ出したくなってしまう。誰かの所為にしたくなる。こんな世の中に誰がしたのかと厭世観で塗りつぶしてもらいたくもなる。
10日ほど前に出会った二人の青年(写真)。
この4月から立派な社会人を目指して、自ら決めた進路に従って専門学校生活を始めると言う。小生が主任講師として担当した年間6回・連続講座「親学講座」(中学校保護者会主催)の最終回の基調提案者として登壇してくれたのが初めての出会いである。一人は警察官、一人は(障害者)福祉士を目指すまでの経緯を語ってくれた。そこには保護者からの「だめ・いけません」の禁止用語は無かったと言うではないか。好意的にアドバイスをしながら遠くから見守ってくれた両親に感謝しているとまとめてくれた。参加者の席から羨望とも思えるような大きな溜息混じりの「音」が聞こえた。
数年後には彼らはそれぞれの道を確かな足取りで進んでいることだろう。
禁止をすることは意外と簡単なことである。「こうあるべきだ・こうしなければならない」というお仕着せの 注文をぶつけることは容易なことである。そして「あるべき」行為をしなければ非難すれば良い。大人社会が、常にこの線上で子育てを満喫して来たとすれば「成長し続ける青年」は存在しないかも知れない。「規則だから守れ」のごり押しでは反発心や反抗心は生じても「規則の存在価値」は全く理解されないままに成長期を過ごして行ってしまいそうで怖い。
10日ぶりに親学講座・担当責任者の自宅訪問を受けた。講師の小生への「寄せ書き」と「スナップ写真」をお届けいただいたのである。面映ゆい思いで寄せ書きを読ませていただいた。アルバム式に綴られた写真からはその一枚一枚にその日の講座風景がハッキリと浮かんできた。取り分け「二人の高校生」の基調提案は一人の親としても「過ぎ去った子育て時代」を反省の思いで聴くことができた。まさに講師にとっても至福の時間となった。関係各位にこの書面を以て感謝の意をお伝えしておきたい。有難うございました。
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