2012/01/02

同音異義語シリーズ②

~「天災」と「天才」~
 昨年の東日本大震災は天災であることを実感した。
 人間が小さく見えるほどの自然力の大きさには対抗どころか抵抗も出来なかった。天災は予知できない?地震速報のけたたましい音をラジオや携帯電話から何度も聞いた。聴くたびに驕れる人間は、「もっと早く予知できないのかよ~」と不平不満を口にした。つまり、天災は人間社会の誇りである科学力でも予知はできないモノのようである。
 年賀状の返信の準備で、毎年のことながら「元旦の午後」はパソコン(科学力の先端技術作品)の前に座りっぱなしである。午後5時前に、「お正月番組」を鑑賞すべくソファに身を委ねる。新聞は「離れ」では購読していないので母屋から運んでくれたら一読する。それが毎日の日課である。手元に届けられた新聞は異常な分厚さと広告用紙が束になっているので見る気もせずにNHKBSプレミアムの番組を選んでいた。何気なく画面を見つめると、そこには「美空ひばり」という歌手のアップが映っている。
東日本大震災で被害を受けた福島県・塩野崎灯台に建っているという歌碑の話題が展開されていた。実は、美空ひばりさんの歌(=「みだれ髪」)の歌詞を以前その成立過程を本で読んだこともあり、いわき市に仕事に行った時にその歌碑のある塩野崎灯台まで観に行きたかったといういきさつもあったので画面にくぎ付けになってしまった。
 舩村徹さんと言う作曲家が、しきりに「ひばりさんは天才」だと表現される。歌を歌う事での天才だと氏は説明された。曲を作る人と、その曲を音にする(歌う)人との関係から発する表現である。2オクターブという音域も想像できない小生には「歌の上手な人」としか考えられないが、曲を作るプロと歌で心情を訴えるプロとの間には小生のような一般人には全く入り込むことの出来ない別世界があるようだ。音から心を詠む?地声と裏声のバリアが無い?言葉の深意を音符で表現したものを瞬時に読んで声にて表現する?等々の事例を述べる作曲家の言葉に引き込まれて聞いてしまった。しみじみと小生は凡人であることを実感した(笑)。上手に歌えるのは「プロの歌手」であれば当然のことであろう。しかし、歌う天才であると言う「美空ひばり」さんは、作詞家と作曲家が「想定して創った」曲想を、信じられない幅と奥行きと深さの世界を「歌で」作ってしまうのだそうだ。やはり、この天才も何人にも予知できないほどの芸術品を仕上げてしまうパワーがあるらしい。しかも、舩村徹氏の表現を借りると、その表現時間は僅かに3分間余りだそうだ。
 天才も天災も「凡庸な人間」には想像できない世界に存在するもの。
天才と○○は紙一重?子ども時代に「お勉強のできる」友人にやっかみ半分にぶつけた言葉を思い出して苦笑である。あの友人たちは天才では無かった(笑)。
 舩村徹氏の言葉を最後に借りると、「ひばりさん」のような天才の出現は、我々が忘れてしまった頃になるのではないか、とのこと。異にして同じ?やっぱり「てんさい」には「忘れる」ことがキーワードだったのか!!凡庸な小生は、今日ここに記した簡単な内容でさえも明日は忘れてしまっている!!

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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