2012/01/17

46歳の『成長』(その2)

 ~『冥利』という感激のメール・書簡~
先ず、公開したメールをお読みいただきたい。30年前の出来事も当事者が面々と語ると真実度が高くなる。忘れかけていた記憶が蘇る。今年も出席した当時の生徒から届いた「初めて」メールである。
個性的な集団?一人一人の個性が強く、間違えばチームワークは愚か空中分解をしても可笑しくなかった。この学年集団の特徴をこのような表現で嘯く教員仲間もいたほどだった。多くの学年チームを育てたが「強烈な学年チーム」であったと記憶も鮮明である。
毛筆の書簡(写真)は、キャプテンに指名した生徒の保護者からである。OB会の数日後にお礼の気持ちとして送り物が届いた。その中に入っていた手紙である。このような手紙を戴くとは思いがけず、「驚きと感激の二重奏」となった。正月4日の再会を繰り返し(ほぼ毎年実現している)ながら、「お父さん、お母さん元気かい?」の言葉も、最近では重くなった。既に他界された旨の返事が多くなった。また訃報の知らせが届いていることがあったり、電話で知らせを受けることも多くなっているからである。
卒業生たちが46歳になっているということは、その保護者の皆さんも70歳の齢は超えておられることは現実である。我が子の成長を見届けずに逝かれた親御さんもある。
今年は人生の節目なのだろうか。
卒業生からのメールや保護者からのお手紙が多く届く。中学校教育(=義務教育)を終えて30年の月日が流れた節目なのだろう。漫談師の言葉を借りて表現すると、『あれから30年・・・・』の爆笑を誘うフレーズになってしまう。あれから30年も経つと「成果・結果」は確実に表出するということなのであるのか。それを「人生の節目」と表現しても的外れでは無さそうだ。
人生は紆余曲折の連続である。
「今は良かれ」とばかりに手抜きをすれば「それから30年後」には「それなりの結末」が露呈するのかも知れない。手抜き連続の我が人生に付き合わされた卒業生やそのご家族には会わせる顔など無い。しかし。こうしてメール(子世代)や書簡(親世代)が届くと、眩し過ぎて勿体ない気分とが重なり合い、恥じ入ってしまう。
30年前の中学生が、社会人や大学生・高校生の保護者になって当時の親の苦労を「身を以て体験している」最中である。苦しくても我が子たちには正面からぶつかれよ!姑息な手段でその場を逃げればそのツケは必ず戻って来るぞ!そんな思いを発したくなる「教師冥利の朝」である。

 「阪神淡路大震災」から17年が過ぎた。仕事で数回訪れたが復興力の素晴らしさに感動し、日本人としての誇りすら感じることがあった。17年間の重さをしみじみと感じる朝でもある。「あれから30年」までの折り返し地点である。まだまだ後遺症はあるだろうが、前を向いて頑張って欲しいと願うばかりである。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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