2012/01/13

これって、公務災害??


 ~元気に復活に安堵~
 茨城県に転居したから、ではないが偶然にも稀勢の里という関取が大関に昇進した。大相撲ファンとしても数年前から注目して将来の横綱を期待していた力士でもあった。「未完の大器」として相撲人生を終わってしまうのではないかと余計な心配までした時期があった。
 スポーツと言う特殊な業界では、「運も人生」らしい。その中でも他のスポーツとは成り立ち方が違う日本大相撲協会の『部屋制度』では昨年度は一大ピンチを迎えていた。力士の育成手法へのメスも入れる必要性があるのでは?と一人の素人ファンが気を病んでしまったほどである。成長の伸び代を案じるのは、どっぷりと浸った教育界に身を置いた垢が除染し切れていない証しかも知れない。
 そんな中で、先日(4日目=11日)、話題力士の取り組みの直前で大きな事故が起きてしまった。国技館の館内が一瞬静まり返ってしまった。200キロ近い力士が50キロぐらいの行司(写真・木村正三郎)さんを土俵下に突き飛ばしてしまったのである。直に落ちた行司さんは頭部を強く打ったようだった。全く動かなくなってしまった画面がテレビ観戦者にまで臨場感を伝える。タンカで運ばれるまでの数分間は前代未聞の傷害事件が起きたかのような異様な雰囲気となってしまった。次の出番を待つ力士も、盛り上げてきた闘志に水を差されてしまうような状況になった。
 そして、翌日の5日目。画面には軍配を持って元気に土俵に上がられた行司さんが映った。館内からも拍手が上がった。ファンとしては安堵しつつ奇跡すら感じた。3倍以上の重さの力士にかなりのスピードで突き飛ばされ地面に直接頭部をぶつけるほどの衝撃から、「異常なし」との医師の診断が下って公務を続ける。これって、列記とした公務災害に当たるだろうなぁ。「昔取った杵柄」の職業病がこんな所にもまだ残骸として存在していた(笑)。
 日本文化のシンボル的なスポーツ(大相撲)も時代の変遷に置いて行かれそうな気配に危惧するファンである。故に、考えることも多い。外国人力士の台頭と反して活躍する日本人力士の減少にはその背景を考えてしまう。
 テレビ観戦する祖父ちゃんの傍に寄って来た孫は、「この人たち裸で何してんの?」と質問した。心底から驚いた。まさしく日本文化の変貌ではないか。ともあれ、 大事に至らずに済んで職場に復帰できた行司さんに安堵した大相撲ファンである。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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