2012/01/10

『鉛筆』の思い出

~鉛筆を削る~
 小学校の高学年になって初めて「鉛筆の濃さ」を知った。お勉強のできるM君のノートが担任の先生に紹介された。そして、そのノートが公開された。几帳面な性格(=後で知った)らしく、どのページをめくってもきれいに並んで書かかれていた字体に多くの友人たちが魅かれたようだった。急に頭角を現した秀才だった。小生もちょっぴりの羨望の目線で見詰めたことは事実だった。
級友の殆どが「真似る」ことで、褒めている憧れの担任教師に認知されたいという本能が働いた。小生も例外ではなかった。しかし、どれだけ書いても先生は褒めてはくれなかった。誰かがHBでない鉛筆をM君は使っているという情報を漏らした。たちまち学級内ではその「4H」という濃さの鉛筆が注目を浴びた。これが流行と言うものだった、とはずっと後になって気づいた。
 このブログでは鉛筆1本から派生した流行を述べよう。
それは、その鉛筆を削って尖った尖端で文字を書くと「きれいに」見えるような錯覚で学級内のノートの字体も濃さもほぼ同一品となるような流行となった。当の本人は、真面目で無口で静かで「居るか居ないかわからない」ような人物でもあり、この流行発生源が無ければ、欠席しても気づかれない存在だったと思われる。
 元凶(?)は担任教師の言動だったと述懐する。
 鉛筆削りの作業状態も今となれば珍風景であるが、何故か微笑ましくも思い出せる。ただ、真摯に考えるべきは、「オトナの実態」がここまで「子どもの現実」を産むのだと言うことを考えねばなるまい、と言うことでもある。
 ともあれ、小生と「鉛筆削り」の思い出を弄りながら45年間で筆記用具から発生する「文化革命」(笑)を軽視できない。
鉛筆を削る/薪を割る/水を汲む/風呂を沸かす/雑巾がけをする・・・・・・。
手足を使って作業した状態は、スイッチ一つで座ったままで果たせるようになっている現代に生きる人間の将来はどうなるのだろうか?お正月早々の話題としては少々暗かったかな?新成人たちの90%が「将来の日本に不安を感じる」とのアンケート調査結果を証明しているような思いに陥っている朝である。
 今日から、孫たちは学校が始まるそうだ。元気で通学して欲しいと願うばかりである。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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