2012/01/11

ラジオを聴きながら・・・(8)

~「国家試験」と調理師免許~
 東日本大震災から今日で10か月が過ぎたことになる。
 あらゆる分野に大打撃を受けた。丹精込めて作った農作物が「商品」(=売買が可能)として値打ちが下がるだけでなく、廃品となってしまった現状を今日のラジオを聴きながらその本質を探ることに興味が募った。
 「日本の食文化を世界遺産に」を訴える『和食料理人』の声に大脳が衝撃を受ける。頭が冴えて目が覚める。隣で聴いていた妻がこの料理人を知っていると言い出した。手元にある月刊誌・ラジオ深夜便1月号を開く。
 口に入れる(命を支える)料理を作る職業に国家試験が無いことを氏が訴える。「そうなんだ!?」と思わず言葉を発してしまった。理・美容師の免許を得るには国家試験の合格が必要であるのに反して、調理師には無い。料理店は管轄行政の保健所の許可さえあれば開業できる。中毒を講じて人名が損なわれる事件が起きても体制は全く揺るがない。国民の「食事」に対する意識が低いことを証明していると氏は嘆いている。調理師国家試験、って在るものだとばかり思っていた浅学を恥じる思いで聴き入った。
 国民意識、という観点からすれば和食はまさに日本にしかない料理法である。味噌汁という代表的料理品を例にして「発酵食品」が世界のどの国にも存在しないことをもう少し誇りに思う国民でなければいけない、と力説する氏。その言葉に思考回路に大地震が起きてしまった。
 ★調理師=名称独占資格。「調理師とは、調理師の名称を用いて調理の業務に従事することが出来る者として都道府県知事の免許を受けた者を言います。食品の栄養・衛生・食中毒・適切な調理法など関連分野の幅広い知識を持っていることを証明されます。
 事典で調べただけでは雲を掴むような説明であるが、確かに国家(試験)資格は要しないようである。そこで、早起き暇人は氏の口から飛び出した理美容師の国家試験との関連を調べてみた(掲載は美容師のみ)。
 ★美容師=厚生労働大臣が行う美容師試験に合格し、厚生労働大臣から美容師の免許を受けた人の事を言います。ヘアー・メイクアップの専門家です。
 明らかに国家試験の表現がある。免許制度という本質ももう古い体制になってしまったようである。国家体制にある全ての組織・機構が時代変遷とのミスマッチが明確に露呈していると考えるべきではないだろうか。
 そこで、小生のテリトリーである「教員免許状」についても若干の違和感を当事者が持ち始めていることも述べておきたい。教育に関する国民意識や国民感情を組み込んで考えると今朝のラジオ登壇者からの発信と同様な願望が表出するだろう。推測するのは容易ではないか。
 今朝のラジオを聴きながら、我が国自慢の「農業」を誇る東北各県がその稼業がどん底に喘いでいる現状を考えた。日本食の行方までが心配になってくる。食に関する国家意識も根底から考え直す必要性を痛感している。東北の素晴らしい食材が「和食として」日本文化として輝く日が復元されることを祈らざるを得ない。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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