2012/01/06

46歳の『成長』


 ~親との別れを体験して~
 毎年のことながら集ってくる卒業生たちの「顔つき」に大きな変貌を感じる。多くの参加者が45歳を超えている。ご両親の現況を問うと、多くが既に他界されたとの情報が返って来る。当時の中学生の親御さんたちも70歳代であろうか。
 子を持って知る親の恩。
 ふとそんな古諺が脳裏を掠める。参会者には高校受験者や大学受験者がいるようだ。そんな人生の中で学費を捻出してくれた親の苦労を実感している語りも聞こえてきた。言葉の端はしに「感謝の思い」を明言する者もいた。
 親孝行 したい時には 親は 無し。
 これは川柳なのか。良く耳にする表現である。連れて移動した孫は小学校1年生と4年生である。参加者たちが小生の下で練習に明け暮れたのが中学生時代である。小生も当時は小学生の子どもたちの父親だった。同行した孫の父親(=長男)が小学校の低学年だった。その子が父親になっている現在を参加者たちが感慨深く自らの加齢を実感している風景が、今回は非常に強く印象付けられた。孫の参入が自意識に拍車を掛けたのかも知れない。確かに時の流れを実感する証拠品が二人の孫の存在だったようだ。
 個々の格差はあるにせよ、それぞれの苦労の歩みは言動や顔つきに滲み出るようだ。表情に在りし日の父親にそっくりな卒業生を確認すると小生も苦笑である。「そっくりになったな」と声をかけると多くの卒業生が「最近、良く言われます」と照れながら笑った顔までがそっくりになっていた。そこに卒業生たちの「成長」を見た思いで胸が熱くなった。
 親は死んでも親業を果たしている。
 これは小生の自作の表現であるが、盆や暮れの墓参で額ずき目を閉じて「ありがとう」と心の中で呟くと、現時点での自らの親業の苦労が軽減されるような気分にもなるモノである。参加者の多くが、これから「我が子の分離・独立」という分岐点に差し掛かる。そして、新しい家族が出来る。人生に休みは無い。遠く大阪から参加した者や、もう仕事が始まりその営業先から背広・ネクタイ姿で馳せ参じた者もいたようだ。元気で今年も集まってくれた。そんな喜びを貰いながら卒業生たちの時代がやってきて世代交代の実感も深くなった。そんな成長ぶりに感激!

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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