~大学入試シーズンの門が開いたが・・~
ラジオは小生の「人生の伴」である。
そのラジオから「えっ!?」と耳を疑うような情報が飛び込んだ。そうか!大学入試センター試験が始まったんだ、と他人事のように呟きながら耳の奥にひっかかる事柄に対して気分が悪い。共通一次とか言う表現はいつの日のことだった?と老脳は過去に思いが走った(笑)。
ネット記事では、センター試験の前日準備状況が報じられていた。受験生への対応は「カンニング対策」が主であった。このこと自体には動じることは無かったが、カンニング(=不正行為)をしてまで大学入学を果たさなければならないような受験生は、「この時代」でも存在するんだな、ぐらいにしか考えなかったからである。しかし、毎年のことながら受験生を受け入れるサイドに問題が無いわけではない。出題ミスが必ず発生する。これは作問する「プロ集団」の誠意の問題ではあるが、専門家の専門家らしくないミスにはただ呆然とすることもある。プロ意識の欠落は受験生に対して失礼ではないか。人間性の問題であり、毎年吐露するとなると大人としての責任感が欠落していると判断されたとしても、やっぱり何かが変?
今回の小さなミス(らしい表現での情報)が耳を突いた。
それは解答用紙の配布ミスである。再配布されて解答を移し替えて、45分もの時間延長をしたらしい。たかが45分と言うな!次の科目の受験時間まで食い込んでしまったので別室にて、無事に試験は終えたとの情報であった。会場で「配布ミス」が起きてパニック状況になるのは受験生だけでなく会場に配置された職員でもある。そんな状況下で不正行為が発生したとすれば(あくまでも小生の愚劣な想定)、本末転倒と言わざるを得まい。どこかで何かがズレていないかい?やっぱり何かが変?
ちっちゃなちっちゃな出来事も繰り返し起きてくると麻痺症状にもなる。
大人たちの油断と無責任な言動は、冷ややかに見つめる子どもの視線に反映して積み重なる。動かし得ない「大人不信感」は、容易に払拭できるものではない。大人になり切れないまま年齢枠の中で大人になっている社会層が増えていると考えてしまう。それだけでも、「何かが変?」と首を傾げる光景が多くなるのかも知れない。小生のラジオ情報以外にも 、多くの受験会場で人災(笑)が起きたようだ。天災は防げなくても人災は『心がけ』次第では如何様にも対応できる筈である。人間界の「他人事」的な処理能力では人災も天災になってしまいそうだ。やっぱり変だよ、ねぇ~?
大学入試時期になった。あちこちで厳しい現実が誕生する。どうか、実力を発揮して立派な大学生として社会貢献できる大人になってほしい。願うばかりである。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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