2012/01/20

抉られるような衝撃

~元同僚の奥様の逝去~
 同居する長男の憔悴ぶりに思うことがある。同一の衝撃は無いが、同種の辛さに遭遇したことはあるからだ。
 通夜・告別式の務めが終わった長男と離れの我が家で夕食を共にした。食欲が無いという長男に母親である老妻は、「これは?これぐらいは!」と食することを勧めるが箸は動かない。
 ぽつぽつと話し出した彼の報告によれば、元同僚の奥様が急逝されたと言う。自覚症状が発覚したのは、年が明けたので昨年の5月になるらしいが、既に末期的症状で手当てが施せない病状だったそうだ。享年35歳と聞いただけでも背筋が寒くなる。一粒種のお子さんが小学1年生のお嬢ちゃんだと聞くと涙を止められないほどの哀しい現実となった。当方の孫と同じ年齢である。生意気な言葉は発しても未だ「お母さんの居ない」環境では生きていけない幼児である。そんなお子さんを残して他界する母親の心情を思いやったのか、老妻は全く言葉を発しなくなった。当方の嫁も同じ世代である、と感じ入ったからだろう。
 小生は長男に向かって言えることはただ一つ。
 心身ともに健康で過ごすことがベストであること。しかし、いつもそのように出来る訳がない。この年齢になると父親業としても佳境に入るが、職場でのポジションも大きく編ヵする年齢にも達する。上司や先輩に期待をかけられると「無理をしてでも」それを裏切るまいと邁進する。遮二無二な突っ走りの状態になると周囲も見えなくなる。これは「通ったことのある経験者」でないと忠告も出来ない。だからこそ、自らの健康管理が重要であることだ。
 自らの経験と反省を含めて食事中にも関わらず言葉に熱気が入り込んだ。真剣に聞き入る長男が気になるのか、臨席する母親は必死に食を勧める。少しずつ箸も動いて缶ビール1つをやっと飲み干して母屋に戻って行った。
 老父母二人になってしまうと会話が成り立たない。妻は、3人の孫を残して我が家の嫁が他界でもしたら、と考えたら、「お祖母ちゃんの苦行」は到底想像が着かないようだという趣旨の言葉で会話を繋いだ。聞いた夫も同じようなことを考えていたので返す言葉も無かった。小生は父親であるが、母親の存在感を実感する妻の言葉は重かった。悔しいが「母親」の存在感は絶大である。
 他家でのご不幸に接して深く考えてしまった我が夫婦は、布団に入っても暫くは無言ながらも睡魔から縁を切られた数時間だった。いつの間にか眠ってしまったが目が覚めると、また、残された父親とお嬢ちゃんのことが気になった。
 母親は元気で丈夫がサイコー!!
このブログを愛読されている全国の「お母さん方」に伝えましょう。我が子と喧嘩をして怒ったり、言う事を聞かなくて哀しくなったり、思うように成長しない我が子に幻滅したり・・・・。これは、全てが「元気で丈夫」な証ですよ。現実透視をして、今日も我が子と「元気で丈夫で」格闘してみましょう。そして、生きている幸せを噛み締めてくださいね。

老婆心ながら、共に苦悩する夫(わが子の父親)への思い遣りも決してお忘れなきよう、くれぐれもお気遣いをお願いしますよ(笑)。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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