~お母さんの頑張りが命綱だよ~
可愛かった女子中学生が、今や悩み多き『お母さん』業に潰されそうだと言う。24日の茅ヶ崎への今年初の里帰りは小学校で開催されたPTA主催の「子育て講座」への出講であった。事前情報で会場に小生の中学校教員時代の卒業生が数名出席する予定であるとは知っていた。聴講者に話しかけながらその「母親」を探しながら、目線を逸らさない視線からほぼ当時の中学生の姿勢と合致した。終了後の校長室で改めて再会した。間違いなく本人であった。午後の出講があり昼食時間もあったのでゆっくり語り合えなかったのが申し訳ない思いであった。
もう一人はPTAの役員を受けているようで昼食も共に出来た。そして、搭載しているメールも届いた。個人情報もあるので躊躇したが、読者の中にも同じような苦悩に潰されそうな「母親」もいるのではないか、との着想で卒業生の本音を共有してもらいたくて搭載した。
「母親は太陽でありたい」というフレーズを以前に目にしたことがある。泣いた赤ん坊は涙を拭く術は知らないが、抱っこしているお母さんの胸に涙顔を擦り付けることで容易に乾いてしまう。拭いた涙の後はお母さんの「太陽のような温もり」が乾かしてくれるという論理である。そんな解説を読みながら父親である小生の無能さを嘆いたモノである。
抱っこにおんぶ。
これは、母系に似合う光景かな?お母さんやお祖母ちゃんには頗る似合うが、お父さんやお祖父ちゃんには不似合いのような気がしてならない。性差を論じることではない。単なる小生の主観論であるので反論等はご自由に交わしていただきたい。それは、きっと 胸にはおっぱいがある、からだろうか。
父親には真似すら出来ないことが、自然体で出来る「お母さん」は、その伝家の宝刀を惜しむことなく発揮すべきであると主張したい。子育てには父性が不必要だと言う論理を述べているのではない。父性の重要な出番も確実に存在する。悩める母親(=妻)を支えることの重要性を意識してサポートを惜しんでほしくないからである。
こんなことまで言及できるようになったのも「加齢のお蔭」である。片手間の祖父ちゃん業を遂行しながらこんな方向性も産まれたのである。ともあれ、「かあさん、がんばれ」と大声を張り上げている朝である。今日から2日間、愛知県豊橋市に行って来ます!明日の帰宅がかなり遅い時間になるので当ブログは休刊します。
1201250007便
角田先生へ
もう到着されましたでしょうか?
今日は寒い中、遠い所ありがとうございました。ほんとうにお変わりなく、パワフルな所も健在でうれしくなってしまいました。
今だから言えますが、当時秘かに私は、「先生のクラスだったらな~」と思っていました。転校前は小学校からの持ち上がりの友達に囲まれて意気揚々だったのが、すっかりアウェイに放り込まれ、信じられないくらい内気な自分になっていました。そんな時いつも先生は、はつらつとされていたので魅かれるものがあったのです。
中3の1年間、英語を教わっただけの関わりしかなかった先生のことを私は忘れたことがありませんでした。何でだろう、と不思議な気持ちでした。それまで出会ったことのないタイプの先生だったからだ、とずっと思っていました。
今日お会いしてお話を聞いて、「きっといつも本気で関わろうとしてくださっていたからなのだ」と腑に落ちました。当時はそんなこと思いもよらなかったですが、今になって思うと大人の本気は子どもには伝わるものなんだな~と実感しています。
今日お聴きした先生のお話の中、日頃自分が心がけていることがたくさん出てきました。本当ならもっと自信を持って、「母」をすればいいのですが、子育ては結果がすぐに目に見えないので不安は尽きません。まして登校拒否の子を抱えているとなおさらです。「何だか私は間違ってはなさそうだ・・」という気持ちになりました。もともと私は傾向として、「どうせ何やっても私なんか・・」という発想になります。自分の一番嫌いな点です。性格と生い立ちのせいかな?と思うのですが、今更だれかのせいにしても仕方ないので一所懸命にコントロールします。でも気がつくと同じ事を繰り返していたりします。性分だと思っています。登校拒否中の子どもを見ていると、何でこんなに?と思うほど自分の嫌なところにそっくりです。子どもの事では自分の生い立ちや夫婦関係など避けて通れないです。
私に遠慮と躊躇があるとすれば、そこまで先生にお世話になるのが申し訳ないからです。とはいえ恥だの外聞だのにかかわっている場合ではないですね~。
私は子どもは社会からの預かり物だと思っています。いずれは社会に返さないといけませんのでいろいろな人の知恵を借りて、とりあえずは外の世界に連れ出す努力をしたいと思います。
また先生にお目にかかれることを楽しみにしています。明日からまた一段と厳しい寒さになりそうです。お体お大事に。 △△小PTA □□より
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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