2012/01/30

『匠の技』がここにもあった!(2)

 ~棋手(「将棋」)とコンピュータの勝負のニュースに思う~
 将棋と言う文化とコンピュータ業界が「勝負する」のは、単なる余興でありたい。
しかしながら、勝敗と言う結果でマスコミが騒ぐ。マスコミは「受ける・関心がある・興味がある」ソースには区別をしないらしくハイエナのごとく纏わりつくらしい。芸能界(と、総括して良いのかわからないが)に生きる人材もその津波のような強引さに潰されてしまうようだ。以下に示す情報は、去る1月14日のネットニュースである。
 コンピューター将棋、米長邦雄永世棋聖を破る
 コンピューター将棋ソフト「ボンクラーズ」と元名人の米長邦雄永世棋聖(68)が戦う第1回電王戦(中央公論新社など主催)が14日、東京・千駄ヶ谷の将棋会館で行われ、ボンクラーズが113手で勝った。コンピューター将棋ソフトが、一般的な公式戦と同じルールで男性プロ棋士に勝ったのは初めて。ボンクラーズは、昨年12月に行われた、持ち時間各15分の早指しによる前哨戦に引き続き、同3時間の本番でも米長永世棋聖に快勝した。米長永世棋聖はタイトルを通算19期獲得し、2003年に引退した元トップ棋士で、日本将棋連盟会長。ボンクラーズは会社員の伊藤英紀さん(49)が開発し、昨年の世界コンピュータ将棋選手権で優勝した実績がある。
 やっぱり、そうなった?!
 電子頭脳にはホンモノの頭脳は勝てない?と悔しい心情を小生の日記には書き込んでいた。そして、今日。その内容を読みながら『豊橋筆』製作(筆)所の仕事場の風景を思い出した。「手作業の筆」と「コンピュータ(機械)で制作された筆」のでき具合で勝負することに置き換えて考えてしまったのである。
へそ曲がりの小生は、先ず手作りで出来る物は「作品」であろうが、機械で作るモノは儲けるためだけの「商品」であるとの概念に括りつけるのである。将棋の指し方も、「棋士ならではの指し方」であれば、その指し方自体への価値観は比べられるものではない。出来上がった製品の温もりが違うのと同様に、指した駒への愛着には勝負とは別世界で愛情が注がれているのである。つまり、駒一枚への指先の温もりが存在すると言っても過言ではあるまい。
 豊橋筆の作業場には、何十年もの時間を「座って作業をする」姿勢を支える座布団の温もりが見えた。その忍耐と根気はコンピュータとは比較できない。
 教育も、「手作り」の労作を惜しんでしまい、「結果オーライ」で業者作成の学習用教材に流されている現状を見るにつけ、こんな記事に出会うと興奮してしまう。一つでも多くの「手作り」の温もりで「教室の子どもたちの低体温化」を擁護して欲しいのである。
 少々の観点ズレの争点は、読者諸兄の「温もり」で補充していただきたい。


〇早速写真(先日のブログ)のクイズのお答えが何通(メール)か受信していますが、正解はございません。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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