~会場は双方とも凄い熱気~
年年歳歳、確かに加齢していることを実感しながらの茅ヶ崎からの帰路であった。
早朝6時に家を出て風景に先ず驚く。辺り一面の銀世界。道路のアスファルトの上の凍結部分もあり揺らぐ足元を気にしながらの歩行も厳しかった。通常5分で到着する駅まで10分以上も掛かってしまったが妻が心配してくれた転倒もなく無事に出立。
取手市周辺を走る特急電車の車窓から、積もった雪が風で舞い上がる現象を見た。茅ヶ崎の温暖な気候に慣れてしまった老体には、こんな日の遠出は少々厳しいかな?と少々弱気な発想が飛び出したのも自意識できた。そんな弱気とは正反対に、午前・午後の2本立てに設定した2会場での講演レジュメを鞄から取り出して読み返しながら老脳には熱い血液が既に巡り始めていたのだから「仕事人間」の病状は健在だった(笑)。
他(県外)の会場と最も違ったこと。
それは、殆どの聴講者がリピーターに近いことである。そうでないとしても「元・茅ヶ崎に勤務した教員」という情報はほぼ全員の意識に定着していることである。会場には若かりし頃に関わった卒業生がいることが、講師の意識にも他会場とは違う異常な雰囲気として押し寄せて来る。かつての「女子中学生」も、今や「母親」になって会場に座っている。そして、ご多分に漏れず『子育て』のプレッシャーに押しつぶされそうにして頑張っているようだ。
浅草の会場(=1月21日・第10回新春教育講演会)との格差の違いは予想通りである。
午後の会場から以前の住居までは徒歩で数分。前年度は3回の連続講座を担当した公民館である。自転車が交通手段だった。館長が卒業生であることもまた異趣となる。当然のこととして認識している。午前の小学校単独会場とは違い、公民館での講座の聴講者の年齢層にはかなりの幅があり講話の焦点化も難しい。しかし、講師としての力量(話材)も試されるのだから講師としては何とも言えない遣り甲斐でもある。
そんな異種の会場での任務を果たして「里帰り」から帰って来た。
帰宅すると浅草会場での聴講者から数本の電話と、数通のメールが届いていた。妻から電話の内容の報告を受けながらも、「一刻も早く寝たい!」と入浴を済ませて床に就いてしまった。26日は愛知県豊橋市への出講が予定されているからである。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
0 件のコメント:
コメントを投稿