2012/01/29

豊橋も、寒かった!!

~インフルエンザの猛威は何処にも・・~
 体力勝負!
 1月26日午前9時前に常磐線(快速)に乗る。東京駅を11時前の新幹線で豊橋へ向かう。到着が午後1時過ぎである。新幹線車内での食事は常連の旅人には常識の時間帯でもある。妻は必ず手弁当を持参させる。時として「駅弁でも食べたいのに」と駄々っ子心情も動くが『おにぎり2個とフルーツ』の組み合わせ弁当は、市教委勤務が始まってからは定番になっている。昔の同僚なら全員がしているお昼のメニューでもある。今回も持参したその定番昼食を食べる。視線の先には見慣れた東海道沿線の景色が飛ぶように流れるがそれが豪華な副食となる。そんな旅を続けてかれこれ10年の歳月が流れる。ふと脳裏をよぎったのが、「この稼業は体力勝負だな」であった。
 午後1時過ぎに新幹線を降りるとお迎えいただく当日の訪問学校の校長先生の姿が改札口ある。そのまま乗り込んで学校に到着すると、すぐ本務の打ち合わせをして「授業観察」の準備に取り掛かる。教場に出向く。多くは全く面識のない教員の授業である。今回の2つの(小学校)授業も授業者とは言葉を交わしたことが無い。
 教室は嘘をつかない。
 それは純真な子どもたちが主人公だからである。大人(ここでは教員)は本質がなかなか見えない。いや、見えないというより見せないと言った方が妥当だろう。見えないベールをめくるには子どもたちの表情を観察するのが一番。授業開始して5分間も観察すると、そこに一人しかいない「王様」である教員の素性が必ず見えてくる。隠しきれない日常の王様の素顔を確認するまでの『子ども観察』(=透視力)の力量が本稼業の成否を左右する。まさに「子ども観察」は本務としての醍醐味である。
ホッとするのは教員の温かい眼差しである。射るような視線で子どもたちの学習を管理する教員に出会うと当方の心まで凍てついてしまう。教室から逃げ出したくなる気分は「学びから逃亡する子ども達」の心理と符合する。
 良い授業とは?
 今回の訪問校の1つでは、その分析を(1)子供目線から、(2)指導者サイドから、の2点で本音のトークをすることが出来た。真剣に2つの観点から表現を試みた教員集団の真剣さで寒さも忘れてしまうほどだった。(1)「えっ、もう終わりなの?」(2)「つぶやきを拾った授業」と一方的は結論を提示した。現役時代には考えてもみなかった結論を全国の学校を巡回して「拾い上げた」平易な表現を用いて披露した。反応も強かった。偶然なのか「観察授業」の授業内容に「つぶやき」とはどういうことか、の発問があったのは奇遇としか言えない。
 指導者の人柄は声の質でわかるような気になっている。大昔のNHKのアナウンサーで宮田輝さんという方がいらっしゃいました。ラジオ放送で声を聞きなれていた祖母が、テレビの画面で初対面した瞬間「声ほど美男じゃないね」と言った。憧れるほどの美声の持ち主だったのだろうか。幼い少年の日々、将来はアナウンサーになりたいと言った孫に、「時代はテレビになるらしいから、止めとけ」と祖母に優しく諭された。今となれば小生の人生を決める重大な笑い話である。
 2つの学校の授業者の性格は「小学校の先生」向きであると合格印を押した。何よりも学級の子どもたちへの愛情が深い。現代ではどの学級にも「発達障害」と括られる児童や生徒が必ずと言って良い程存在している。時として学級担任の「声」がその子供に負の刺激を与えるのだろう。信じられないような言動になるようだ。上辺だけの優しさなど障害と共に生きている当事者には教科書を勉強するより安易に解ける謎ではないだろうか。全国で「学級崩壊」という症状(誰のネーミングか知らない!)を露呈している場面に指導に入ると、小生の(動物的)本能でその虚像を見抜いてしまう。
 今日の2つの学級にもそんな児童が存在していた。しかし、45卯分間のドラマでは謙虚な実像は映らないほど学級全体の学習活動が彼らを包んでいたことになる。経験年数や指導技術だけでは今回のような授業は展開できない。双方とも指導案通りには展開できなかったが、そんなの関係ない!!
 学校全体の総力で「授業研究に挑む」姿勢を確立させたい。それは急務である。なぜならば、「今年の子ども」は来年度も「今年の子ども」として、誰かが学級担任をするのである。今年の子どもの現状を「授業を通して」観察していることが、生徒指導の根源になるからである。そんな観点からも今回の二人の授業観察提供者に拍手を送りたい。そして、「豊橋にも雪が降る」ような寒さの中でも「熱く語りかける」教員がいることに感激した、ことも添えておきたい。
 1月27日午後9時半過ぎに帰宅した。疲労困憊の老体には土浦の空気は堪えた。確かに豊橋も寒かったけど「教場はあったかだった!」、と思える幸せに感謝したい。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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