2012/07/31

「思うようにいかない」のは『世の常』?


 ~一次試験合格発表に際して~

 「人情論」って、やっぱり在りますねぇ~。

 「合格して欲しい」と祈る思いと、いや「採用するべき人材だ」と推したい思いとが、今回も錯綜しました。僅か3か月だけの師弟関係(らしい付き合い)を続けてもその思いが募るんですよ。真剣に聴講し、指導内容を懸命に果たそうと努力する姿勢を見続けると、目の前に突き付けられた結果が非情に思えてしまうんでしょうね。

 当ブログでも何回か登場している講師稼業(=教員採用試験受験者を対象とした民間が主催する講座)に関わる話題です。もう3年目を迎えました。今年の結果発表が25~27日に亘ってありました。神奈川県では、横浜市・川崎市・相模原市の政令都市と神奈川県がそれぞれの採用試験を実施するので発表の日程に若干のズレもあります。請け負っている講座は全県下の採用試験受験者を対象とするモノです。微妙に違う試験の温度差を見極めての指導は、また大変な業務です。

 29日(日)は、合格者のみが受講できる仕組みになっている「二次試験対策講座」でした。本部からは事前に合格者の氏名(本人からの届け出)はわかっていましたが、会場で再会出来ると何とも言えない光景が生まれてしまいますね。会場に来ることが出来なかった顔が浮かんでくるんですから辛い瞬間ですよ。

 合格しないことを祈る受講生はいませんが、「今年こそ!」との思いを寄せる受講生が数名いました。家族もあり年齢的にも「1年間のズレ」は厳しいモノがあると思われる受講生がいるのです。「人生の選択決定」時期のズレを感じます。中学生の息子と机を並べて勉強したという「お父さん受講生」には、合格して欲しかったし、採用に値する人材だと、小生の他に対応している講師陣が全員で推奨できる好人物でもあるのです。発表の日に律儀にも「先生方(=講師陣)の期待を今年も裏切ってしまいました」とのメールを受信しているんですよ。

 結果の報告(本部への)もしないで、会場に現れて「月謝を払っているんだから」と言わんばかりの一次合格者が今年もいらっしゃいましたね(苦笑)。この類の人材は、何故か合格しているんですよね。昨年もいらっしゃいました。来年度は正規の教員として教壇に立つんですね!人情論の意味がご理解できますでしょ!?

 世は「ロンドン・オリンピック」の話題が花盛り。結果にも人情論が表出しそうですが、努力に相応しい結果が出ることを祈っています。『世の常』に竿を挿すことなく、猛暑の毎日を乗り切ろうと心新たにしている朝です。読者の皆さんもくれぐれもお気を付けいただいて今夏を乗り切ってください。

 知人から当ブログへの反応・メールが届きました。ご紹介しましょう。

0730受信

見事な朝顔の緑のカーテン素敵ですね。なかなか、花が咲くのは、時間がかかるのですね。写真で観ても涼しそうです。風情があってイイですね。来年、我が家も、挑戦してみようかな?と思って居ます。素敵な写真ありがとうございました。

2012/07/30

ホッとした朝


               ~『最初の一輪』が咲きました~
 茅ヶ崎市に住んでいた時代の友人夫妻から引っ越しの記念に「朝顔のタネ」を戴きました。「4月に蒔いてください」と言われましたので、タネの入った袋に「4月蒔き」とメモ書きをしておきました。「緑のカーテン」づくりの思いで妻と一緒に種蒔きをしました。友人からの指示は蒔く時期が「4月」とだけのことで、「4月のいつ頃?」と老夫婦は悩みながら、地上からの深さも知らないまま蒔いてしまいました(笑)。長男は「琉球朝顔」という種類を苗で持って来てくれました。どんどん伸びる琉球朝顔と対照的に、友人から戴いた朝顔は芽は出たモノの成長はしません。

 肥料が不足かな?水のやり過ぎかな?

 蔓が蒔きやすいように竿を挿して待つ期間の長いこと。短気な夫は、「だから人間の方が育てやすいんだよな、喋ってくれるからね」と嘯く始末でした。人の苦労も知らずにのんびり屋のスカーレットオハラ(友人から戴いた朝顔の品種名)さんは、「観るのを諦める」ほどの成長しかなかったのですが、ある日(わかりません)から突然の成長でした。蔓の伸び具合に老妻はてんてこ舞いになる程でした。そして作った柵の頂点まで伸びてくれました。伸びたのは良いのですが、全く花芽が見当たらず、流石の老妻も「咲くのかしら?」と不安げな発言が飛び出しました。

 昨日の終日勤務の疲れは今朝の寝坊の誘因でした。

 枕元で妻の声、「咲きましたよ、朝顔が!」の一声で飛び起きました。何と6時でした。通常より2時間半も遅い起床でしたが洗顔を済ませてデジカメを持って庭に下りました。「お前、遅いぞ!」と語りかけながら、神奈川県寒川町に住む贈り主夫妻の顔がチラつきました。

 写真(右上・左)を撮って早速「第1号開花」メールを送信しました。

 挑んだことの無い事に沢山チャレンジしている自分に自分が驚いています。東側と南側に「緑のカーテン」を作りました。見事過ぎるほどの生育ぶりです。本格的な酷暑の季節の到来です。日陰の有難さを「植物さん達」に感謝しながら過ごすことが出来そうです。

 「育てる」には、短気は禁物ですよね(笑)。講師として偉そうに「育成論」を述べるわが身の無神経さを、「緑のカーテン」の植物軍団は苦笑しているだろうなぁ。

2012/07/29

最近気になる「日本語」


 ~高校生は大人?子ども?~

 正式な区分を問うような呟きではないが、今年も「気になる言葉」を耳にする時期になった。孫たちと高校野球の決勝戦をTVで観ていた。見事な戦いぶりで目出度く全国大会への出場権を獲得された監督さんのインタビューの画面が映る。「子どもたちの頑張りのお蔭です」と感涙の言葉を今年も耳にした。監督さんの年齢が古稀を越えて、孫たち程の年齢差があるとなれば、(全面納得はしないが)、止むを得ないと呑み込んでしまうかも知れない。

 我が子が高校生にもならないような40歳代の指導者が、指導をしている高校生を称して「子ども達」と括るのはどういう心境なのだろう。

 あなたなら?問われれば、私は「選手たち・・・」と表現する。

 中学校や高校の授業者(=教員)も、人によっては「子ども達」と総称する。小学生を「児童」と称しているのだから、中学生や高校生は「生徒」という呼称がぴったりすると思えるのだが、「硬すぎる」分別なのだろうか。半分譲歩して、中学生には妥協しても高校生を「子ども呼ばわり」には合点がいかない。なぜ、こんなことまで言及するか!?それは、「大人になりきれないおとな」をわが国では育成し過ぎていないだろうか、と考えるからである。

 わが子が誕生して成長する過程で「父親観」として確立していた理念がある。私事ながらご紹介しよう。その一つが、「子ども扱いは電車料金に合わせる」である。半額料金で帰省同伴できる年齢が12歳までであることが基盤になっている。子育て時代の妻との合言葉は「1つのボーナスは1回の家族帰省でチャラ(笑)!」であった。それでも給料をいただけることに感謝の気持ちが溢れていたことを電車の中でも子どもたちに語ったモノだった。

 そこで、中学生になったら「弁当は自らの手作り」も強制した。妻(母親)も同意してくれた。起床して登校するまでの時間の使い方はオトナ並みのハードさであったはずだ。今となって考えてみると(母親になっている娘は)感じ入ることがあるのではないだろうか。当然ながら家庭教育環境である。例外が多いことはご理解願いたい。反抗期の中学生を説得するには親も苦労が大きい。しかし、避けては通過できない大事な時期なのである。

 社会が要求する大人料金は「列記とした大人扱い」である。

 中学生や高校生の育成指導にはもっと神経を遣うべきではないか。子どものままの高校生を観ると将来を憂う。親が苦労して高等教育を受けさせているのであれば、「大人として」家庭経済状況も「親として」正面から伝えるべきではないか。政治力で「高校の授業料負担」を軽減することには、莫大な税金が支払われていることも、「大人である国民」ならば真剣に伝えるべきではないだろうか。

 高校生を「子ども扱いする」大人の大人気ない表現にウンザリするのは小生だけだろうか。成熟しきれない大人社会に警鐘を発したい気分になってしまう。

 大活躍してヒーローになって注目を浴びる「選手」が誕生すると、立派な大人社会が歓迎する。そして、安易な気持ちでその世界に突入である。挫折しても自力で這い上がるしかないのが大人社会である。子ども時代には大人や親や先生が優しい言葉や激励の言葉を掛けてくれる。それを糧にして大人ロードを前進するためには大人扱いは重要なのだ。身長が180センチもある軍団を、ただ、「ゲームの勝利」へのスキル指導だけを考えているようでは世の中で活躍して役に立つ人材は作れないような気がしてならない。

 立派な高校生もいる。立派な親もいる。そして、我が子が苦学を覚悟で大学に進学することに胸を痛めながらも支援する親も大勢いる筈だ。大人扱いがされないままに(内面的な成熟がないままに)年齢だけがオトナ領域に達する人種が多くなればなるほど社会は混とんとしてくるに決まっている。理不尽な直訴で自己満足するオトナが増加している証が現代には多過ぎないか!

 「後継者を育てる意識」がこんな小さな所で欠けていると嘯いている爺である。

 今日の早朝歩禅は時間が取れません。6時09分の常磐線の電車で「仕事に向かう」からです。教員採用試験一次合格者対象の最終講座に出講するために横浜に向かからです。大人になりきれないまま教員に合格する「後継者」が気になっています。「この歳になってからでは、もう間に合わん!」と開き直りつつジレンマを感じながら今日は終日の勤務です。猛暑に負けずに頑張ってまいります。

2012/07/28

生活リズムに「減り張り」

小貝川を渡って訪問地に向かいました。背景は当地の名山・筑波山です。

 ~「適度の緊張感」は不可欠か?~

 昨日は20日ぶりの業務で午後から移動した。

 出講の場合は、多くを送迎車の恩恵を受けていたが当地ではそうはいかない。県内に公共交通機関が少ないので自家用車での移動手段が常識の様だ。『郷に入っては郷に従え』の訓えに従って昼食後に湘南ナンバーの軽自動車で出発した。予定した所要時間より遥かに少なく、指定された時刻より1時間も早く到着した。8月9日には近隣にあるらしい合同庁舎での講演が依頼されている。ナビは装着していないが地図帳を頼りに次回の目的地を探すことにした。直ぐに見つかったので時間がまだ余ってしまった。仕方が無いので学校に入り込むことに意を決した(笑)。講師の到着が遅いのも心配だが早すぎるのも迷惑だ!(笑)。

 全体研修の中の60分間が小生の持ち時間だったので、時間丁度に終了して校長室でお茶を戴いて即刻の帰路に着いた。道順にも不安が解消して順調な帰宅となった。自ら運転して講演に出かけることの少なった老夫の帰着まで妻は心配していたようだったが、無事用務(運転)の完了でホッとしたようだった。

 適度な緊張感。

 退職して10年近くを過ごしていると「固定的な緊張感」から解放されてしまって、この緊張感は「乙張(=めりはり)」として意義ある事だと実感した。 

やっぱり、疲れたようです!!今朝は1時間以上の寝坊でした(笑)。
寝坊した証拠です。朝陽が湖面にこんなにきれいに映る時間になってしまいました
7月28日早朝歩禅 04:45~05:40【6200歩】

2012/07/27

あれから「4年」

 ~ロンドン・オリンピックが始まる~
 昨日の朝のこと。睡魔と共生しながら枕元のラジオから「なでしこが勝ちました!」だけのアナウンサーの声を聞きとっただけが記憶にあるが、殆ど夢の中にあった。電波の発信先は開催地のロンドンだから時差はどのくらいなのだろうか?
 シドニー(2000)、アテネ(2004)、北京(2008)と会場都市名で記憶を弄りながら、今回のロンドン(2012)に辿り着く。スポーツの商業化やイデオロギーが妨害したボイコット事件などもその以前の歴史的事実として浮かんできた。難しいことはわからないが、オリンピックともなると「政治と経済」力が絡んでしまうことは必至のようだ。スポーツ人生を歩むアスリート諸氏には『一生一大の事件』となってしまうのは必至か。不参加となったモスクワオリンピック出場予定だったアスリートの中には自己の人生を滅茶苦茶にされた人もいるのではないだろうか。スポーツであるからには、そこに「勝利者と敗者」とに判別されることはわかるが、戦わずして運命を左右されるのは納得しがたいだろうなぁ!
 昨日のこの新聞記事(写真版)に注目した。
 いまでこそ(猫も杓子も知る程)知名度の高い『なでしこ』という女子サッカーチームである。過去を知れば日本のスポーツ界の「日和見」主義が見え隠れして不愉快である。しかし、「冬の時代を忘れぬ王者」とは妙を得た表現ではないか。同種の選手と飛行機の座席が「協会の規約」で片づけられても冬の時代を思えば厚待遇と受け止められるのだろうか。そうとなれば、直接の支援ができない庶民ファンは燃えて応援するしかあるまい(笑)。
 全国高校野球選手権大会(会場:甲子園球場)のニュースがマスコミで騒がれる時期になった。同じ高校生が同じように必死な練習で勝ち抜いても「高校野球」は別格扱いである。他種(高校総体=インターハイ)は蚊帳の外にあるのも怒り心頭に達する。スポーツにまで経済市場原理の浮沈を賭けられるような機構となっているのも納得できない。
 「冬の時代」を忘れずに挑む人生は『なでしこ』だけではない。今や飛ぶ鳥を落とす人気の王者になった『なでしこ』には敢えて伝えてみたい。今回、勝てないと、簡単に「冬の時代」の主になってしまうぞ!と。だから、個人的には、「目指せ!!頂点」を祈るばかりである。先ずは好発進に安堵している。今朝は男子サッカーも勝利発進らしい。全ての選手諸氏が、刺激し合って励まし合って世界の場で悔いの無い結果を残して胸を張って帰国して欲しいモノである。
霧の深い朝でした。靄のなかに浮かぶ歩禅コースの沼にはカモが泳いでいました。
7月27日早朝歩禅 04:30~05:25【6300歩】

2012/07/26

イチローくんは日本人


 ~大人物には誤解は付き物?~
 注目すればするほど勝手な想像で評価するモノなのだろうなぁ~。この人物が話題になるとしみじみ、そう思うのは小生だけだろうか。その想像の中に「誤解」が潜んでいるのかも知れない。そして、その誤解が羨望と嫉妬に彩られて当事者が「居たたまれない」所まで追い込んでしまうのだろうか。彼が19歳の「青年」の頃、一度だけ会ったことがある。ここでは詳しく述べることは出来ないが、初対面の感想は「変わりモン・協調性の無い」若者としてだけの印象であった。凡庸な「せんせい(=当時はバリバリの現職)」は誤解(思い込み)の上に胡坐をかいて、単なる個性として評価していたようだ(恥)。
 電撃的なニュースは早朝の「ネットニュース」で知った。直ぐに開いて詳細を覗きこんだ。そして、この写真をゲットした。この1枚の『姿勢・態度』に脳天を割られた。その後、ラジオからもテレビからも「イチローのトレード」が話題になった。そして、記者会見を垣間見ながら、また、言葉に言えない屈辱感すら抱いてしまった。
 アメリカ(野球発祥の地)で通じる訳がないじゃん!体格差を考えれば考えるほどその結論は誤解となって老脳を支配した。前人未到の大リーグ記録を塗り替えるほどの押しも押されもせぬ大リーガーに成長した彼の他者に言えない自己鍛錬は多くの人が知らない。スポーツは結果や記録が全てである。契約金など興味は全くないが、プロ選手はこれもその価値を裏付ける。トレードも「自らの意思」であることがわかると「日本人」とはかけ離れてしまう。
 多くの部分が「誤解で」成り立った虚像が、この写真一枚と記者会見の涙目が誤解を証明してくれた。四半世紀を日本人として日本で育った日本人が、日本のプロ野球を捨てて(=誤解であった)アメリカの大リーグに向かった彼の深意はそんなチャチな誤解など相手にしてはいなかったようだ。
 お辞儀をする日本人を善しとしない風潮があるらしい。しかし、大観衆に向かって深々と頭を下げる(=お辞儀する)光景には頭が下がってしまった。ヘルメットとバットを手にして、観客に向けて数回のお辞儀する光景には、「日本人」としての彼の誇りが満載されていた。目頭が熱くなったのは小生だけではあるまい。
 日本人が忘れ去りそうな、(日本人らしい)礼儀作法を外国の地で示してくれた大スターに感激してしまった。ピークを過ぎた(これも小市民の誤解??)彼の今後の言動に母国を偲ばせるモノを更に期待したい。
ただ一面に立ち込めた・・・そんな歌詞が浮かんできた早朝歩禅のスナップです。
04:30~05:25【6300歩】

2012/07/25

「鵜呑み・丸呑み」の危険性

 ~『?の思考』時間を再考したい!~
 「へそ曲がり」「偏屈者」「変わりモン」等々、小生は若かりし頃には百面相の如くに代名詞が付いた。いや、今でも・・(笑)。故郷では『もっこす』総称されて、決して全否定される通称では無かった。この『もっこす』モンは、鵜呑みや丸呑みが苦手なのである。話者が発した激励や説諭も額面通りに受け止められないのである。
 尊敬できる(と思っていた)同僚教員の教室を覗いた時、黒板と天井の間に大きな用紙が貼ってあった。そこには「教室は間違うところだ。間違うことを恥ずかしがらずに思ったことは何でも発表しよう・・・・・。」らしき文章が目に留まった。目がテンになった。この教室で学ぶ生徒諸君は「思いついたら何であろうが先ず勇気を奮い立たせて発表する」ことに全力投球するのだろうか?『もっこす』モンの小生は、鵜呑みが得意ではないので、どっかに何かが引っかかってストーンと落ちてくれなかった。
 きれいごとではホンモノの教育は成立しない。
 「隠し事のない仲間作り」「嘘の無い学級づくり」等々の学級経営指針をみみにしたり目にした瞬間、この種の美辞麗句(とは言わないまでも)は仮面であると噛みついたものだった。「いじめや仲間外れの無い学級」作りなど「絵に描いた牡丹餅」である。小生ごとき凡庸な教員にはとても口にすることすら恥ずかしい表現だったからである。
 大人社会を見てみよう!!隠し事と仲間外れと嘘ばかりで、弱い者への思い遣りの欠片すら見えない大人社会の渦中で、無神経になってしまうほど見続け聞き続けながら子供社会で生きている子どもたちが、どこまでそんなスローガンに心を動かされるのだろうか。
 子どもは褒めて育てる。
 『もっこす』モンはこう考える。褒めてばかりで子どもが立派な大人に育つわけがない!子どもは(叱咤しながら)(激励をするために)(良いことは)褒めて育てるんだ、と。叱咤も激励も褒めることも、学校教育では「指導する」と総括する。抱きしめられるような温もりを感じる言葉と、冷酷無比に突き放すような言葉が同居しないと「人づくり」は成立しない。と、小生は断言して憚らない。
 鵜呑み・丸呑みはいけません。
 『?思考』を脳味噌にはめ込んで考えてください。そして、提示した新聞記事(写真版)を読んでみてください。そして、ホントに友達づくりは苦手なままで良いのかな?と『?思考』をしてみてください。新聞記事は熟読に値します。素晴らしい理念構成で表現されているからです。小生は資料としてオリジナル化して保存したほどです。教育関係者のみならず「後継者を育てる」観点から熟考するに十分な資料です。
早朝歩禅の帰路で撮りました。農家の方が田んぼで収穫の済んだ作物殻でも燃やしておられるのでしょうか?長閑な田園風景です。早朝歩禅04:35~05:25【6100歩】

2012/07/24

孫たちの「夏休み」が始まった!


 今日の「早朝歩禅」で撮りました。これって、「藤の花」??沼のほとりにある休憩所に咲いていました。
=04:35~05:25(6000歩)=
 ~夏休みの楽しみは「読書」だった!!~
 学校の図書館から借りた本と市立図書館から借りた本を貪り読んだ中学・高校生時代が懐かしい。取り分け高校3年生の夏は借りてきた本を「枕」にして転寝する時のリッチな気分が忘れられない。夢の中に出てきた「書庫」の実現はほぼ夢のままに我が読書人生も終末期ではあるが、結局は読みもしないで返却した本の数も多かったが心は満足だったあの日々も懐かしい。
 我が家にも「夏休み」がやって来た。
 同居して2回目の夏休みであるので少々の慣れはあるが、終日の「孫守り」には気疲れしか残らない、と老妻は呟く。そんな日が始まった。それでも能天気な老夫には、性懲りもなく「夏休みと読書」の思い込みは消えていない。
 読者諸兄には7月9日付きの当ブログを読み返して欲しい。
 ラジオで知った氏のご著書が数日前に届いた。3冊注文したが2冊しか手元に届いていない。その1冊を読み始めた。「目から鱗が落ちる」症状になると、もう治らない病気に罹ったのも同然である。栗林を抜けて入ってくる風をソファで受け止めて本を片手にすると「医者でも治せぬ恋の病」に罹ってしまう病人である。
 8月号のイチオシBOOKSの書籍は決まっているので同9月号で推薦することを心中にて計画を済ませながら読み続ける。自らの「教育経営哲学」が間違っていないことの合格印を捺して貰っている気分はサイコー(笑)。
 小生の最後の勤務小学校は『新設開校』であった。つまり初代校長として赴任したのである。学校教育目標の設定に空脳の持ち主は勉学の浅さとの葛藤だった。反面教師的発想の1つに、「勤務校の学校教育目標が言えない教師はホンモノの教師とは言えない」があった。経営責任者としては、分かりやすく表現することに気遣いが必要だとも感じていた。3つのキーワードを考えて提示した。
 ラジオで聞いたお話をきっかけにしてご著書を手に入れた幸せに感謝した。また、どこかの「講演で」触れることの出来る資料ともなった。読書三昧は「毎日が夏休み(笑)」の爺には特記する内容ではないが、こんな書物と出会うことの喜びは筆舌し難いのは事実である。9月号のイチオシBOOKSをどうぞ、お楽しみに!!

2012/07/23

爺の(夕暮れの)娯楽


この新聞記事は本場所3日目の報道である。記事の最後の3行に注目したい。 
~『気になる力士』に魅かれてTV観戦~
 最終日(千秋楽)までの2週間は退屈しない。ご贔屓の力士(写真・上)が登場する時間に合わせてのTV観戦は初場所辺りからどんどん熱を帯びてきた。外国人力士を毛嫌いしている訳ではないが、相撲発祥の国としての国民としては日本人力士の活躍に心躍るのは決して不思議ではあるまい。
 読者諸兄で3月13日付きの当ブログに記憶がお有りだろうか?
 小生が魅かれた力士のことをチョッピリ記した部分がある。長い間「運動選手の育成」に心血を注いだ(笑)小生には、多くの(スポーツ)種目を技術的な部分を奥底までの知る訳ではない。「視た瞬時」の閃きと言うのだろうか、『惹き付けられる』選手と時々遭遇するのである。ここでは大相撲業界で『惹き付けられる』選手(力士)として読んでもらいたい。日本人力士への期待をしては裏切られる(?)相撲ファンとしては、「この力士に・・・」と心ときめく何かを持っている人材に渇望していた。その確信を得たので(前述)ブログに記したのであった。その後も、ファンを裏切ることなく着実な出世(相撲業界用語)を続け、すっかり『虜』になっている。
 何がそうさせるのか??
 恐らく地道な自己鍛錬(相撲界では「稽古」)であろう。この力士に限らず、全国の学校を「授業研究(=あまり好きではない表現だが)」のために訪問していると、思わず惹き付けられて時間オーバーを意識しつつも教室に留まってしまう教員(男女・経験年齢は不問)と遭遇することがある。至福の時間である。特別に指導するために校長室に呼びつけることを校長さんに強いたことは一度も無い。しかし、そんな人材との遭遇には「目に見えない糸」が存在するらしく、校長さんの思惑もあってか個人的な接触の機会も偶発する。指導らしき時間を共有して別れるが、その後の引力も強い教員とは、授業以外の題材や話材で交信を続けることが出来る。次回の訪問でも、教室を覗きたくなるのは人情である。正に地道な稽古である。
 期待する教員には決して「大変身」などは期待してはいない。
  「指摘した部分の改善(?)に挑んでくれているか」だけを確認したいのである。教育稼業ほど地味な活動は無いと確信しているからである。教員が「変わろう」と努力し始めただけで学級が変わる。つまり、「ご贔屓にしたい願望」のお客様たち(=児童生徒)が惹き付けられるのである。特段のスキルで「その場しのぎ」の授業をするようでは純粋なファン気質の心は動かせない。見えない部分での稽古(教材研究や指導法の工夫)が、小さな土俵(=授業)で、小さな実りに産むのである。休み時間や放課後に児童生徒と接触する(=これも「稽古する」)教員のいる光景には、子ども同士の「陰湿ないじめ」等芽生える訳が無いのである。
 子どもは大人の人生を映す鏡だと先哲に言われた。
 稽古を疎かにして金星狙いをする力士人生には魅力を感じない。全国を巡りながら、この力士にも負けない気迫と鍛錬(教育の基礎・基本条件の養成)を続けている教員が、意外と多く居ることが我が喜びである。そんな教員に出会って、「喜びと激励」を与えることができるような力量を潜在させる老輩として余生を過ごしたいのである。
 横綱(=校長)になるのが目的で稽古(=授業実践)しているような教員には大きな夢は託さない。先達者を敬愛し、目標人物を掲げ、そしてファン(=児童生徒)をこの世無く愛し続ける。恩を感じて感謝することを大切にする証しとして、後継者育成にも意を注ぐ人材を求めている。性懲りもなく(退職して9年目)、そんな人材発掘を生き甲斐にしている旅人でありたい。
 この力士の活躍ぶり見ているだけで、老輩の夢は萎むことはない(謝)。

2012/07/22

鍛錬には「継続」は欠かせない


~「加齢現象」に勝てる訳もないのに・・・~
 『昨日の記憶』を、目が覚めたら直ぐに書き残すことを継続すると記憶力が戻る。新聞記事のこんなフレーズに目が留まったのが当ブログを書くきっかけになった。読者諸兄からの「反応付き」の利己的発想に基づく作業である。顔は浮かんで来るのに氏名が付いてこない。何とも言えない焦燥感?そんな経験は皆さんには無いだろうなぁ~?そこで老脳の「鍛錬法」として、このアドバイスを実践してみようと、「昨日の記憶」を時程に沿って「朝起きて寝るまで」を出来るだけ簡潔明瞭な短文で書き綴るのである。初めて試みた朝の衝撃は今でも苦笑である。「昨日の午後の出来事が全くの空白状態」として襲ってくる。全く思い出せない。

 3:40起床~洗顔~コップ一杯の冷水を飲む~洗濯機と炊飯器のスイッチオン~パソコンに向かって「昨日」と向かってキーボードを叩く~早朝歩禅に出向く~帰宅して朝食を済ませる~ラジオ体操~長男が出勤する~孫たちの登校を見送る~嫁と末孫が保育園と勤務先に向かうのを見送る~朝8:15~

 ここからが毎朝の鍛錬である。ここまでは「毎日の出来事」だからすんなりと記憶が蘇る(笑)。休日となると朝からの記憶が飛んでしまい、脳味噌は空っぽ。こんな具合に「苦しみながらも」続けられるのも読者諸兄のお蔭である。心より感謝している。紆余曲折は「世の習い」である。開始したのが2004年10月20日(還暦)であるから、もうこの秋で8年間が過ぎることになる。
 気持ちの所為か??
 ここが能天気な性格の為せる業かな(笑)。何となく「顔と名前」を合致させる能力(=単純記憶力)が復活しているような気分になっているのだが・・・。小生を知る皆さんは、「角田さんらしいなぁ~」と苦笑しておられることだろう。
 このブログ自体は「記憶力蘇生」の目的では無い。数行の『昨日の記憶』を書き終えてからの作業ではあるが、全く切り離せるものでもない。数行の日記に綴った出来事や歩禅での妻との話題から蘇る様々な事象について、自らの思考能力回路を擽りながら「自己の考え」を認める(=したためる)ことにしている。
 このブログ作成の時間は『昨日の記憶』を書き込む時間の何十倍もの時間を要する。全国の読者諸兄がご愛読いただいているから当然であります!これから、早朝歩禅に出かけます。妻も元気になりましたのでご安心願います。ご心配のメール等有難うございました。≪4:15≫ 
早朝歩禅から帰りました。集落が見えなくなるほど「家畜用飼料・とうもろこし」が大きくなっています。
7月22日(日)04:35~05:25【6200歩】

2012/07/21

届いた『礼状』


 我が家のリビングから撮った「つがいのキジ」です。オスの直ぐ右に薄い茶色の小型のメスが映っています。わかりますか?こんな環境で生活をエンジョイしています(7月18日撮影)

~礼儀の真髄も知らぬままに~
 加齢を続けている我が人生で、時として刺激が走る。それは「礼儀」(=常識)として発送される礼状を読んだ瞬間である。
 昨日、手元に訪問先(学校)から礼状が届いた。小生の業務内容から用務が終了すると「礼状」が届くことが多い。日本文化の支柱にある「礼儀」という作法がさせる慣習のようである。ホンの例外ではあるが、礼状が届かない場合もある。最近は無礼とも感じなくなった。それは、儀礼的な表現でまとめられ、「誰に送っても」通用するような形式的な文面ばかりであるからだ。礼状が活字になってしまった頃からなのだろうか?
 小生は葉書を多く投函する。多くはお礼状である。受け取られた方々の中から「角田先生は達筆なんだから直筆で欲しかった」「どうして手書きにされないんですか」等々の反響も届く。言い訳ではないが「言い分」が1つある。単価50円(葉書)で郵送できる「小紙面」に出来るだけ多くの謝意を記したいだけである。何百枚の葉書を投函しても同じ文面の葉書は僅少である。宛名の「その人」にのみ通じる「ことば」を添えるようにしているからである。ご要望に応えられる程の枚数になったら手書きになりますかな?
 歯の浮くような文章で綴られた礼状には赤面するどころから腹立たしく思うことが多い。下手な講演でも、拙い指導でも当方は「常に全力投球」する性質である。帰路はその疲れで缶ビール1本で熟睡するほどエネルギーを消耗する(笑)。
 久しぶりに「学校現場からの感動」が伝わる礼状をもらった。歯が浮くような礼状を受け取った時点と同様に赤面もするが、素直に反省も産まれる。まさしく「共生」する意識が深まった礼状である。以下にその「礼状」を転記する。

平成24年7月17日  角田  明先生 様 ●●市立◆◆小学校 校長 ▲▲▼▼
お礼状   向暑の候,ますますご繁栄のこととお喜び申し上げます。先日はお忙しい中,本校の校内研修会にてご指導いただき誠にありがとうございました。教師が,子どもと本気で向き合うことで子どもが育ち、学級が変わる。また,授業は,教師と子どもの真剣勝負の場であることを改めて学ぶことができました。教育の原点なのですが,疎かにしがちで,耳の痛い教員もいたことと思います。学級の実態は,担任が一番よく把握しています。その実態に応じた授業を考え,子どもが「分かった」と言ったときの目の輝きを見るのを楽しみに授業研究した自分を思い出しました。それが教師の仕事の醍醐味であり,やりがいだと思います。〇〇教諭や□□教諭は,先生に直接ご指導いただき,ずい分やる気になってきました。目の輝きが変わってきました。また,先週の金曜日に,6年担任が研究授業を行ったのですが,しっかり机間巡視をして指名をしていました。指導主事の先生をお招きした協議会でも,一つ上の話し合いができるようになったと思います。まさに,授業づくりが学校づくりであると確信しました。先生のご指導で,私自身が校長として何をしていくべきかたくさん学ばせていただきました.本当にありがとうございました。ぜひ、また、先生にご指導いただける一日が来ることを楽しみにしながら今後も努力を重ねていく所存です。略式ながら書中にてお礼申し上げるとともに、先生のご健康と一層の御発展を心よりお祈り致します。 

 小生は10年間の行政生活で7年間は管理職でした。行政では他種との接触があり招請状と礼状は抱き合わせでの事務処理が要求されました。「遅くならないように」とだけを重点に指導を徹底しました。「反省」はそこに発生しています。ご想像できますか?
 学校教育関係者の読者のみなさん、この礼状のどの部分に凡庸な小生が「感動と反省」の思いを募らせたのか考えていただけますか?メールにて返信をお待ちしています。 

2012/07/20

『祥月命日』に思う

             今朝の歩禅道脇の蓮田で撮りました。恩師のご冥福を祈りつつ・・・
恩師という「教育力」
 「小生を知る」程にお付き合いのある方なら、小学生時代の恩師の話は耳にタコが出来るほどに聞かされたことだろう。それほどまでに「影響力をいただいた」人物である。
 義父母の介護のために退職を1年残したままで退職して郷里に帰ったのが平成16(2004)年の4月であった。18歳で故郷を離れたが41年間住み慣れた神奈川県茅ケ崎市から一旦帰郷した。生活の本拠地を移動したので少年時代を過ごした熊本県八代市で生活を始めたのである。同級生や後輩諸君との旧交を温める機会も多くなり携帯電話番号を知らせる友人も増えた頃である。仕事で茅ヶ崎の自宅に戻ったばかりの所に一人の後輩から電話が掛かって来た。てっきり「呑みましょうよ」の電話だと思ったが、浮き浮き気分が吹っ飛んだ。恩師の訃報を知らせる電話だったからである。急いで、九州へのとんぼ返りで戻って通夜にも告別式にも参列できた。
 これって幸せなのか?会場で少年時代の友人知人と再会できたことも至福か?自問自答しつつも、ご長男(喪主)のご依頼で「送別の辞」を述べることとなった。遺影の写真と向き合って感謝の意を伝えることにした。走馬灯に映る「恩師」の百面相(笑)が妙に鮮明だった。
 怒鳴る・叱る・叩く・殴る・泣く・・・・・・恩師のお姿は留まることなく走馬灯に映し出され、今にも立ちあがって来られるような臨場感にまで至る程だった。数分間の「お別れ」の対面は自らの半生を総括するモノだった。お通夜の終わった会場でご長男夫妻と話すことができた。お世話になった感謝の言葉を伝えて帰宅した。送迎をしてくれた後輩たちとも、恩師との思い出話の話題には事欠かなかった。当時の「散歩日記」(現・歩禅記)に以下を記している。 

平成17年7月21日(木)晴 
 昨夜の訃報で意気消沈。死語になったと言われる「恩師」。その恩師の悲報に接した。我が耳を疑いたかった。まだ十分にお若い。小学校四年生として通っていた小学校に新進気鋭の眩しいばかりの先生が着任された。今、考えてみると十数歳しか違わなかったのに子どもの目には素晴らしい大人の姿だった。ご縁があって翌年、五年生から学級担任として卒業までの二年間厳しくも優しい指導を受けることが出来た。幸運な出会いとはこんなものなのだ。一人の少年には熱き夢とロマンが注入された。ご指導に応えたいために泣きながら懸命に取り組んだ。当時の「少年の未来」が今の姿である。
 昨年の還暦同窓会でお話しができた。一旦故郷に帰っていたので、いつでもお会いできると油断をしてしまった。今日は、午後から帰路に着く。明日の告別式に参列するためである。生きた会話が出来ないのが残念至極。恩師の教えをここで、深く考えねば!

 早朝歩禅から元気で帰宅しました。栗の実が、もうこんなに大きくなっていますよ。寒い!
=7月20日(金) 04:45~05:35(6500歩)=

2012/07/19

お祖父ちゃん、「歯」を抜かれちゃった!


 ~目には見えない成長の証し?~
 抜歯の目的で通院したわけではないらしい孫が、帰宅と同時に大声で庭先から発した。「グラグラしてたの?」と部屋から老妻が問いかけた。「ううん!?」と否定の言葉が返ってきたようだ。「下から歯が出て来てたんじゃないの?」と、祖母と孫の会話が夕暮れ時の庭先で数分間続いた。
 小生は未だに虫歯が無い。
   生を受けて虫歯の治療のために歯科医に通院した経験が無い。歯痛の経験も無いと応えると100パーセントの人から「羨ましい」と言葉が返ってくる。特段の意識と日常的な努力をして健康な歯を維持している訳でもない。時々、「総入れ歯ですか?」と聞かれるほど歯並びがきれいだそうだ。本人には全く意識が無い。老妻は対照的に歯が弱い。「歯医者に通うことが最大の人生の苦痛ですよ」とその心情を聞かされると、健康な歯の有難さだけは最近になって少しは感じるようになった。
 朧な記憶を辿ると、グラグラとすると直ぐに自力で(笑)抜こうとした少年時代が浮かんでくる。4歳離れた次兄は、叔父に押さえつけられて歯を抜かれて泣いていた。子どもの頃はそんな光景は日常茶飯事の一つとしてしか記憶にない。乳歯と永久歯との区別の学習も何もなかった少年が「永久歯が生えて来てきれいなままの乳歯を押し出している」状況下にあるとは知る由もなかった。
 同居する3人の孫たちの「歯の健康管理」に忙しい母親には「ご苦労様」と思うだけである。丈夫な歯は健康の源らしい。「歯を抜かれちゃった!」と発しながら身体はどんどん成長しているのであろう。祖父ちゃんとしては、健やかな成長を祈るしかない。「お祖父ちゃんの歯を見せて!」と孫にせがまれることも多い。神経質なまでの治療意識に欠けるずぼらな性格の小生は少々恐縮してしまう。「お祖父ちゃんに似れば良かった!」と発せられると益々申し訳なく思ってしまう。
 目に見えない部分で、世代交代の時期に向かって孫たちは成長しているようだ。少々気になるのは食生活かな?食糧不足の時代と違って「豊富な食材」に恵まれる現代生活には「贅沢な選択」ができるためか「好き・嫌い」の格差が何の抵抗も無く認知されている事だろうか?嫌いな食材でも「食べる物が無かった」時代には食べるしかなかった(笑)。21世紀に生きる世代には理解はして貰えないだろうな!
 こんな「語り部」世代も、幼い頃には前世代の親や祖父母に同様な指摘を受けていたことを苦笑と共に思い出す。そんな昨夕の庭先の光景だった。
 これから、日課の「早朝歩禅」に行ってまいります。
行って来ました!!こんな朝日が迎えてくれました。
=7月19日(木)04:30~05:25(6500歩)=

2012/07/18

早朝歩禅(5)


             =7月17日(火) 04:40~05:35(5900歩)=
 早朝の蓮田に清楚な花(写真・上)を見つけ立ち止まりました。
 今朝も「独り歩禅」です。妻も無理をしない程度なら移動も可能ですが、月末に大移動を予定しているので無理をさせることは意図的に回避させています。今朝の空気は「日中は暑くなりそうですね」と、声を掛けられると「妙に納得する」モノでした。朝から蒸し暑かったのです。群馬県館林市では(前日)37.6℃を記録したらしい。以前は埼玉県熊谷市が「最高気温の町」だったそうですが、変わったんでしょうか?こんな現象まで「一番」を競うモノなのか不思議で仕方ありません(笑)。
 九州ではまた集中豪雨になっていると聞きながら「自然界の脅威」に震え上がる思いがします。雨はいずれは上がる。風もいつまでも吹き続けることも無い。しかし、放射能汚染は半永久的に原形を取り戻すことは無理だ、と言いますね。福島県の一つの町は行政丸ごと現場復帰は不可能だとの結論も出たようです。これって自然災害では無い!?
 そんなつぶやきを繰り返しながら歩くのも楽しいですよ。独り言も独り歩禅の独壇場(笑)。
 この町ではすれ違う散歩人で挨拶を交わさない人は一人もいない。以前の町では「挨拶を交わす」散歩人を数えるほどでした。「言葉を交わす」ことが無かったことは、ずっと以前の歩禅記に何度も話題として登載しましたよね。コミュニケーションの基本だと考えつつ大きな声で「おはようございます」を交わすと心まで豊かになった気分になります。
 「鶴沼コース」の好きな風景も今朝は一段と「お気に入り」(写真・右)の佇まい。遠くに見える「筑波山」の姿に馴染んできたようです。今日は会わなかったのですが、「つなぎの服」を着た初老の男性が、いつも「ゴミ拾い」をされている。沼のほとりに数か所の休憩所が設けられています。雨も降らず熱い晩は、こんな場所は若者たちの天国となるのは何処も同じようです。その残骸(怒)を彼は片づけているようなのです。挨拶をしながら言葉を交わす、と「自分と闘っているんですから放っておいてくださいよ」と、笑顔で軽く往なされました。色々な「思い」があるのだろうと判断して、その後は挨拶に添えて「ご苦労様です」と声を発してすれ違っています。
 1周3.1キロの小さな沼ですが、この地の貴重な財産です。きれいに使って気持ちのいい憩いの場にしたいモノだと願ってしまいます。外様的新住民が考えるのはお門違いなのでしょうかね。せめて、自分の行為で出たゴミは持ち帰るぐらいの常識は持って欲しいと思うからです。
 新名所の東京スカイツリーのある地でも地元民の皆さんが、観光客が「落として帰って行った後のゴミ」の処理に苦労しているとのニュースで知って愕然としています。こんな世の中になってしまったんですね!!(哀)。

2012/07/17

ちっちゃな『夢』


 ~墓前に供える「花」ぐらいは手作りで・・~
 神奈川県茅ケ崎市に在住の折りに、当地に両親の墓が完成した。
 年に二度の「お彼岸」と、そして「盆と正月」の墓参は欠かさないようにと心がけて土浦までやって来た。来ることが出来ない時もあったが電車を乗り継いで3時間半をかけて当地に通って来ていた。道中、妻が「歩いてでも墓参りが出来るようになれば・・・」との願望が口をついて出たこともあった。長男が家を建て永住の準備をし始めた頃、呑みながらその話題を出した。幸いにも嫁の実家は寺院である。大きな霊園もあったようだ。長男にとっては大好きだった祖父母のお墓を作るのは夢だったそうだ。
 小生夫婦も当地に昨年転居した。妻の「歩いて出来る墓参」の夢も叶った。妻のちっちゃな『夢』は生花店で購入した豪華な花を供えるより、庭先で栽培した手作りの花を供えてあげたいとのことも判明した。知識ゼロの小生は、取り敢えず「夏咲く」花を選んで春先に種を蒔いて、苗を植えて球根を埋めた(笑)。小生の人生哲学そのものである。「先ずは、植えて(蒔いて)みなければ先は見えん!」の勢いで無鉄砲な始発だった。全く素人の二人にとっては「お先真っ暗」な夢の実現のスタートだった。
 ダリアが咲いた。グラジオラスも色とりどりに咲いた。向日葵も咲いた。仏壇には一輪咲いては供えていたが、一気に沢山の花が咲いたので、「切り取ってお墓に持って行こうよ」、と声を掛けた。体調がイマイチの妻が腰を上げた。
 この夏日に歩くのは酷である。陽射しが陰る頃待って墓地まで車で出かけた。この時期は「造花」を入れてあるが右側に集めて空いた左側に、我が家の『猫の額』に咲いた花を挿した(写真)。「明日は枯れるよね」と言いながら水を入れる妻も満更でもない様子だった。ホンのちっちゃな妻の夢は、サイズでも無ければ、豪華さでも無い。親を思う子どもの優しさの「心の重さ」なんだ、と墓前に額づく妻の後ろ姿を見ながら感じ入った。
 この親不孝な息子も、「親の墓参りでもするか」の心境になった真夏日の夕暮れだった。しかし、やっぱり、九州は遠いなぁ~。

2012/07/16

早朝歩禅(4)


                 =04:40~05:25(6000歩)=
 妻の体調不良で延期した長女宅への訪問だった。勿論、天候状況も判断の要素で無かった訳ではない。体調が万全ではなかった妻には2時間超の軽自動車での往復は辛かっただろう。帰路は車中で眠ってしまった同伴の孫が眠ってしまったので、成長を感じつつも反比例する老化との厳しい対決なったようだ。今朝の歩禅には妻の参加意思表示が無いのがその証である。
 梅雨明けかな?
 独り歩禅に向かう夫を見送りながら妻が呟く。幼い頃、梅雨が明けるには「お天道様も一暴れしなければ」との地域の長老の言葉を妻も覚えていたのだろう。二三日の集中豪雨には逆らうな!の意味の言葉を小生も良く覚えている。
 東の空には雲が多く、朝日の恩恵は無い。どんよりとした東の空に向かって独りで歩き出した。田園地帯に差し掛かる頃から東の空が明るくなった。林を抜けて「鶴沼コース写真・上(=勝手なネーミング)を直進しながら、「顔なじみ」の散歩人とすれ違う。一人の老人から、人差し指だけを立てて、「今朝は一人ですか?」と声が掛かった。妻と二人で歩く歩禅が認知されているようだ。「はい」とだけ答えて沼まで歩き続けた。妻同伴歩禅よりかなり速い歩きである。
 毎朝会う高齢者(と、夫婦で判断)ともすれ違った。沼を一周(高齢者とは逆回転)してスピードを上げたが後ろ姿は見えながらも、その間隔の距離は縮まらない。相手を高齢者と思うだけでも容易に追いつけると思ったのが大間違いだった。結局引き離されてしまった結果で惨敗だった(笑)。
 帰宅して朝食を妻と摂りながら、高齢者の話題になった。何事も「鍛錬する」ことで年齢や体力の(常識的な)格差が逆転するのだとの結論になった。
 何かを思い出したらしくTVのスイッチを入れる妻にイヤな顔をした小生も、画面が「茅ヶ崎海岸・暁の祭典=浜降祭=写真・左と右下 だと分かった瞬間に暫し失語症になってしまった。
 今朝は、そんな朝なんだ。
 つまり『海の日』の県重要無形文化財のお祭りである。脳裏を掠めたのは18歳で上京した大学生が、この日(当時は7月15日と固定されていた)と出会った驚きの瞬間である。お神輿と言うモノを見たのも初めてだったからである。走馬灯とは便利なモノである。鮮明に「あの日」が浮かんでくるからである。
 梅雨明けも近いだろう。夏の祭典が終われば湘南海岸にも本格的な夏が到来すると言われていたからである。

2012/07/15

利根川は水量より『濁り』


 ~上流での雨量が翌日には流れて来る!~
 九州・球磨川の下流に位置する生まれ故郷の八代市は水量に恵まれ、農業用水にその恩恵は十分である。そんな地形で育った小生には「雨との共存」での知識にあ沢山の財産がある。
 当時は、人吉市という上流の都市部や更に上流の九州山地での雨量を農家の人たちは少ない情報下で雲行きや風の方向で判断をしていた。農家ばかりの周囲では立ち話は情報源だったのではないかと思えるほどであった。
 大雨の後、晴れ上がった夏空からはイヤと言うほどの陽射しがあった。少年たちは口々に「泳ぎに行こう」と言葉を発しながら準備をしたものだった。数名の悪童連中が集合して来るのが我が家であった。
 そんな時に限って小屋で仕事をしている祖母が「楽しい遊び」を冷たく妨害した。小さな川であるから危険への意識も少ない、との素人判断が災いの素。止められれば諦めるしかない。泳げるばかりに準備をした連中は不平不満を口走りながらも帰宅していく。祖母の口癖が、幼い少年の脳裏に突き刺さる。川の水は、上流の天気が作るのだから、昨夜の雨雲だと相当な雨量になっている。それがここまで流れてくる。深さだけでなく濁りが健康を害するとの叱咤内容であった。大雨の後、川の様子を見に出かけた農家の人でさえ思いもかけぬ事故でおぼれて命を落としているニュースは今回も耳にした。祖母は決まって追い打ちを掛けた。「自然をバカにしちゃいけない」と。
 この歳になってしみじみと胸を打つのが祖母の言葉である。
 一昨日から、千葉県佐倉市に住む長女宅を訪問しようと予定をしていた。生憎の雨模様は九州から東北まで集中豪雨の特徴があるとの予報をテレビやラジオで知った。当地から長女までの道程には「利根川」という最大の河川を渡るのである。上流での雨量を気にしながら気象予報に注視して一昨日の予定を急きょの変更で昨日の午前中にした。そして一泊の予定で行くことにした。
 同居する末の孫が同伴するとの申し出に「祖母の言葉」を反芻して出かけた。孫の身に万が一のことが起きては後悔も何もないからである。無事に用務を済ませて午後3時前には帰宅できた。利根川の水量は思った程ではなかったが「濁り」は連日の上流での降水を証明していた。
 久しぶりの長女宅で孫たちと楽しく過ごして英気を養って帰宅した。同伴した4歳の孫の成長ぶりには「嬉しい誤算」というご褒美もあった。

2012/07/14

愛読する「月刊誌」(1)


 ~性格の互換性を操る雑誌~
 性格は表と裏。趣味も合わない。嗜好も全く違う。最も致命的な違いは「家庭での育ち」であろうか。そんな男女が結婚して43年間が過ぎた。娘2人息子1人がその間に巣立った。結婚観が違う我が子たちに表から「結婚式だけは挙げさせる」と人生哲学を押し付ける夫。その思いを裏に回って上手に伝えながら成就させた妻。朝から運動部の指導で家を飛び出す夫。家の中に居ることが大好きな妻。飲食に関する「好み」は辛党の夫と甘党の妻。
 両親の愛情を全身に浴びて「一人娘」として育った妻と、母子家庭で6人きょうだい(兄2・姉3)の末っ子として育った夫。生活文化が全く違った。小生は職業意識から「人の性格」を見抜くべき努力に心血を注いだ。そして、生まれて育つ「後天性性格」の存在に気付いた。つまり、DNAの(医学的な)遺伝子もあるだろうが、「育つ環境」にも性格形成が影響されることに合点したことが多く出会ったからである。
 わが身を通して極言すると「結婚はその後の性格形成に多大な影響を及ぼす」となるのだろうか。その要素の1つに「共通な話題と対話」があるような気がする。研究者ではないのでデータも「自らの」のみであるから説得力はありますまい(笑)。妻の従兄弟・姉妹たちが異口同音に結婚後の妻の変貌を(驚嘆な声で)異口同音に発する。当然のことながら夫の身内からも同様な評価を貰って当人が驚いたこともある(笑)。
 我々老夫婦の、昨今の「共通な話題と対話」の源泉は単価350円の月刊誌(写真)である。『自然災害の日本人』や『生きることと食べること』等は、加齢を感じる老夫婦にとっては読後感が対話の要素になってくれる。料理をすることが大好きな妻にとって辰巳芳子氏は尊敬している料理研究家らしい(夫は名前も知らなかった)。自然災害の記事には共通話題が豊富である。夫婦とも九州・熊本生まれであるために「台風」という自然災害への脅威は、温度差はあっても共通である。『ハンマー投げの頂点を目指して』の記事は、今度は夫の領域である。室伏重信選手はスポーツマンの夫には同世代の一流プレーヤーとして忘れられない青春の思い出に君臨するスターである。饒舌になる夫には聞き上手の妻の存在は大きい(笑)。歩禅記でもその様子は度々紹介済みである。
 他愛もない話題に興ずる対話。その源泉である年間購読の月刊誌が数冊ある。その中の1冊を今朝は紹介した。機会があれば他の月刊誌も紹介することを考えている。ラジオを聴きながらこのブログを記しているが、今朝は「中断して」災害情報が入る。神奈川県下に「警報」が出ているようだ。故郷(熊本)の豪雨被害に心を痛めながら、今朝は48年も住んだ神奈川での「警報」へ気を揉んでいる。
 皆さんのお住まいの地は雨の被害はないでしょうか。

2012/07/13

第17回教育実践『響の会』夏季特別セミナー


 ~お詫び:ご案内が遅れました!~
 新米の校長になった平成8(1996)年8月に第1回目(正規の)のセミナーを開くことになったのが始発駅である。それまでの数年間の行政生活の中で考案した「教員を育てる」構想の具現化を一歩だけ前進した教員の自主研修会である。その後は紆余曲折もあり、人事異動の影響もあり運営は決して順風満帆ではなかったが17回目をご案内できることは至福である。

期日:平成24年8月4日(土)10:00~16:45(受付9:30)
会場:神奈川県茅ケ崎市民文化会館・会議室(JR東海道線「茅ヶ崎駅」より徒歩5分
 詳細は右欄(小生の公式ホームページ)をクリックして頂いて『案内版』をご覧ください。広島『響の会』(代表・山﨑幸徳)のHPには案内がアップされています。
 
 加齢の証拠は「回顧と懐古」の連続症状が出ることだそうだ。
 小生の人生には回顧は多く存在しても懐古は殆ど無い。「顧みながら省みる」ことを主宰者として意識して『響の会』を創設した。大それた理念などは無い。当時の仲間に担がれて「お神輿の載ってしまった」ことへの回顧(笑)は、充足感だけを小生にもたらしてくれた。52歳の『若さ』を登載している我が歴史の1ページだけでしかない。周囲の人脈に恵まれて「良くぞ続いたモノだ」と案内板を見詰めながら、性格に似合わぬ「感傷に浸る」朝でもある。
 財源的な支援を一切受けずに「自給自足」的な運営は、集う仲間の「木戸銭」だけでやりくりすることである。後継者諸兄に相当な苦労を押し付けたようなことも回顧している。
 今回も、夏季休業中の「研修会最盛期」に開催することもあり、全国から参集される参会者も立派な講師や研究者から得ることの多い研修会との天秤選択で苦慮されるのではないかと案じている。再会を楽しみにして、小生もここ茨城県から出向することにしている。
 久しぶりの「里帰り」も兼ねて、茅ヶ崎のホテルを予約した。
この会を立ち上げた当時の同僚が眠る墓地への「お礼」詣もしたいと考えている。大学生時代におせわになった「恩人のご家族」にも日頃のご無沙汰をお詫びして仏前にお花を供えたいとも考えている。

 案内版をご希望の方はメールでご請求願います。当方から添付ファイルで送信します。グレードが合わず「開かない」恐れのある方は上述の指示に従ってご覧ください。

2012/07/12

何で、こうなるの!?


 ~初期対応での「当事者意識」~
 学校内に入る物々しい警察の捜査状況をテレビ画面で見ながら心が痛むのは小生だけではあるまい。これからの人生である中学生が自らの命を絶つことに追い込まれたことが哀しくも辛い。「二度と・・・」の願いもむなしく、「また・・・」起きてしまった。正直なアンケート(写真・黄色マーカー部)の回答が、警察の捜査までに至ったのか。そんな責任感が回答者が精神状態に異常を来たすようになったら関係者はどこまで責任が取れるのだろうか。関係者とは学校教育関係者だけを指すものではない。
 小生も関係者の一人と自覚して、経験(初期対応)を紹介しておこう。
 中学2年生の女子生徒の担任になった初日の対応である。前年度の出席日数は1学期だけだったことも、1学期の終わりごろには殆ど登校していなかったこともわかっていた。教科(英語)担当者としてその学級とは関わっていたので「教師と生徒」の関係は確立していた。新年度の担任になった小生は、「始業式の担任としての挨拶」をしようと家庭訪問をした。
 母親に促されて玄関先まで出てきた小生に「担任です」と言われてびっくりしたのか落ち着かない態度になってしまった。許可を得て応接間に入れてもらった。そして、学校に行けなかった苦悩の原因を聞いてみた。蚊の鳴くような声で「いじめられている」現状を話してくれた。詳細はいずれの機会に委ねることとして、結論を述べる。2年生の1年間は病欠の数回を除いて皆勤に近い状態で学級生活を過ごしてくれた。現在二児(中学生と小学生)の母親として頑張っているようである。茅ヶ崎市のある講演会場では講師控室まで足を運んでくれて再会を喜んだ。こんな社会状況を知るにつけ彼女の心も痛む事だろう。昭和の時代にも今回のような病状は存在していた(写真・赤色波線部)。お断りしておくが、決して自慢話ではない。
 初期対応(写真・緑色マーカー部)での「当事者意識」に格差が生じると「出遅れ」対応となってしまう。今回は、学校教育現場(校長室や職員室)まで警察の捜査が入ったことが何としても辛いし、哀しいし、悔しい。教育に携わる「指導の過程」の情報資料まで押収されてしまうことには遺憾である。今後の指導が心配だからである。
 どこの学校でも起こり得るこの種の問題である。
 思考力未熟な児童生徒を護るべき大人集団(教員と保護者)の初期対応における当事者意識に問題解決のカギがあることを忘れないで欲しい。

2012/07/11

私の母は字が読めなかった!


 ~車内の注意事項も読めない「識字」~
 小学校の授業を視る機会が多い。1年生と6年生の授業の違いは明白である。その基準は使用言語である。使用言語とは単なる言葉だけではない。表現力も想像力を活かすべく絵やイラスト等(文字言語だけではない)の工夫が随所に見受けられて「文字を理解しやすく」なっていて心地よい。
 指示事項の文字が読めるとは?
 意味が理解できるから、その指示事項にも従うことが出来ることになる。読み書きが出来ることを「識字」と言う。識字率99%の我が国は世界21位(第1位はグルジアの100%)にランクされるらしい。ランクの順位の問題ではない。1パーセントの人口が文字の読み書きが出来ないことになるとすれば、電車内の指示を理解できない人はその1%の人なのだろうか(笑)。
 小生は全国の多くの電車に乗る旅人の一人である。
 その旅人には、最近、やけに気になることがある。それはシルバーシートと呼ばれる座席の光景である。設置は定着したものの設置の目的が全く軽視されている行動に直面することが多くなったことである。シルバーシートに堂々と座ることの出来る年齢に達した小生夫婦も時として設置者の配慮の恩恵を受けている(謝)。
 昨日もそうだった。空いている車内なので誰でも座席とすることには異論はない。しかし、堂々と携帯電話を使用する姿があった。最近は、その数が多くなっている。文字は読めなくてもわかるように『絵文字』ステッカー(左)も貼ってある。識字の問題ではないようだ。99%の日本人は文字が読めるということが恥ずかしくもなる。あの場所は敬老席(妊婦等)だけでは無い。電波を発する機器に健康を害される人のためにも顕在する筈の座席である。確認のための『絵文字』ステッカーである。
 去る5日に訪問した広島市の小学校で2年生の授業を観る機会があった。提案授業の第一回目としての公開研究授業は「道徳の授業」だった。愛情の深い担任と信頼し切っている子どもたちの織り成す展開はロールプレイ式が採用され、指名された子供もそれを見守る学級全体の雰囲気も2年生にしては上出来の授業だった。何よりも笑顔の絶えない子どもらしい愛嬌が忘れられない。
 子どもたちの言語能力の成長が著しく表出するのが3年生からである。学力だけに限らず個人差がはっきりするのが4年生である。2年生がその前段の重要なステージであることを考えれば、「楽しい」「面白い」だけの授業準備では3~4年生での成長が心もとない気がする。「お面」を被った瞬間から、子どもはその「役割」になり切った言語を使うことに集中した。そこに言語使用運用能力が培われる。至れり尽くせりの授業の工夫であった。識字率の高さを誇る我が国の現実を実証した授業だった。現状に甘んじることなく「高度な手法」も、この道徳の授業では実験的に取り組むことも期待しながら観察した。
 このような学校教育の努力は「学力」の評価だけに押し潰されていないだろうか。シルバーシートに座るや否や、携帯電話で何かを調べてレポートらしきものを作成している。周囲を気にすることも無く時を過ごして大学のある駅で降りて行った若者の後ろ姿を見送る。「識字率」の深意を疑ってしまう。いや、哀しくなりながら「母ちゃんも字を読んだり書いたりできたい」と呟いた亡母を思い出す。字が読めなかった母がこの光景を見たら何と呟くのだろう。
 もっと気になったのがシルバー(と見受ける)自身が携帯電話をその席で使うことである。文字が読めても意味が無い!!(怒)

2012/07/10

「合格してから」が本格人生


 ~教員採用試験が終わった~
 受験生が集う講座に関わって3回目の夏である。
 一種の「予備校・塾」であるが、人との出会いには変わりはない。昨朝の大田氏(ブログに登載)の言葉を借りると「出会いは偶然から始まる」訳であるから、今年度の37名の受講生とも、5月の開講式で「偶然な出会い」をして2か月の超短期の交際をしたことになる。彼らが申し込みをして本社から講師の要請があって小生が請けていなければ「出会い」はない。まさに偶然と偶然の衝突である。
 数通のメールが届いた。
 その全てが「終了報告とお礼」の内容だった。合格者は7月29日に終日日程(午前9時20分~午後4時40分)で、二次試験対策と称して最後の講座に参加できることとなっている。最終の全体講義が終了した時点での合言葉は「7月29日再会しよう」であった。一次試験が終わった「教員志望の受験生」たちは、自らの思いをメールに託して送信してくれたのだろう。
 どんな偶然の出会いにも「愛情が湧く」現象が付きまとう。小生の担当講座は「論文作成指導」であったが、苦労して「文章を作る」姿に寄り添いながら、本社との契約外で「ネット添削」(小生の造語)で接触した。受講生が深夜1時ごろ送信している「小論文原稿」を3時半に起床する小生が添削して返信する。彼らは(多くが現場勤務者=非常勤講師や臨時採用教員)、小生の『添削済み論作文の返送』の添削資料を読んで出勤しているようだった。凄い時代になったモノである。ネット時代に生きている実感である。受講生から届いた1通のメールを紹介しよう。

120709受信
 養護(臨任)教諭の □□□□です。昨日、横浜市の試験がありました。色々、反省はありますが、やれるだけやりました。論文は800字でまとめるということの大変さを実感しました。昨年は1度だけ角田先生に添削していただいた論文をお守りに試験会場にいきました。今年は添削していただいた論文を直して、4例も持って行きました。これは、私の財産になると思います。結果はどうあれ、論文について勉強できたことが私の今後に生きていくと思います。良い結果報告ができないかもしれませんが、角田先生の講義が受けられたことに感謝を申し上げたいです。ありがとうございました。

 偶然の出会いにも、ここまで感情を揺るがす交信が出来るモノである。出会った偶然も「大事に育む」ならば「通じる」何かが生まれることを、この年齢になっても一種の感動として受け止めている。まさに「至福」である。
 しかし、小生は更に彼らに追い打ちを掛ける。「合格してから」が本格人生である。教員になってからも「学ぶ」貪欲さを失うなよ!と。7月29日に多くの受講生と再会できることを祈るだけである。

 丹精込めて育てた「猫の額」の庭に見事に咲いたダリアの花(写真)に、受講生諸君の合格を祈りを託しつつ・・・・。今日は『鍼診療日』です。自己健康管理のために妻と一緒に12年間通院し続けています。お陰様で夫婦揃って薬も飲まない生活が12年間が流れています。ラジオから流れる大田尭氏の言葉を聞きながら今日のブログを記しました。  行ってまいります!!

2012/07/09

今朝のラジオを聴きながら

~出会いは「偶然」から始まる~
 大田 尭(おおたたかし)氏(94歳)の声を聞きながら戦慄が走る。恥ずかしいことにお名前を存じ上げないことが戦慄の原因の一つであった。アナウンサーから「教育研究家」と紹介された時点での動揺はさほど大きいモノではなかった。耳を傾けながら戦慄が走る症状に変わった。教育は「いのち」を原点にして考えることを忘れていけない、との言葉が連発され、愚かな耳はいつの間にか釘浸けになってしまった。
 「命」と「授業」の関わりの深さを感じていなかった訳ではない。友人(同僚教師だった)が余命の宣告を受けて相談して来た時点で「命の授業」(仮称)の実践を推奨したのも小生だったのだから、氏の言葉に違和感などはなかった。しかし、その後の話題で発せられた言葉はダメ押しだった。
 「出会い」は偶然でしか生まれない。
 必然な出会いは運命なのだろうか。東奔西走しながら旅先での「新しい出会い」との遭遇は、全く『偶然』そのものでしかない。しかし、「会うべくして会った」と深く考えてしまうほど出会いもある。誰かの演出でもあるのではないか、と考えてしまうほどの出会いもある。これは、会うべくして会う「運命の悪戯」なのかも知れない。氏は、「いのち」もあるモノとあるモノとの「出会い」から発生すると仰るのか?久しぶりに肝を揺るがす哲学であった。氏のことについて調べながら、同業種(業界)に居ながら存じ上げなかった勉強不足を恥じ入ってしまった。
 数日前に訪れた広島県の、本郷町・名誉市民であると知れば知る程に広島にご縁のある小生としては正に正真正銘の「偶然」と驚いてしまう。今日の続編は明日も放送される。ご著書を注文した。無性に読んでみたくなっている朝である。

2012/07/08

旅日記≪私の『授業観察・記』≫


 ~良いモノは良い、悪いモノは悪い~
 小生の稼業は「授業観察」が本務である。
 従って好むと好まざるにかかわらず設定された教室には足を運ばなければならない。教室に入った瞬間から退出したくなる授業と「お付き合い」することが時々ある。これは拷問に等しい。そんな時、小生の視線は自愛の心に変わる。いや、同情心に満たされた眼差しに変わるのである。「キミたちはこんな授業に45(50)分間も耐えているんだね」と言う心からの叫びなのである。
 このブログの読者の9割(推定)は教員である。≪教育関係者以外の読者の方には申し訳ありませんが、今日は我慢して素読して頂きたい。≫当方は教員の先輩であるので、「そこまで言うの?」と毛嫌いされるレベルまで言及できるのである。それは自己反省に基づくモノであることをご理解願いたい。そんな授業をしていた過去を思い出しつつ、苦言を呈して頂いた諸先輩のお言葉を紡ぎつつ、「恩送り(=恩返しではない)」を丁寧に実践しているつもりだけなのである。
 『良い授業』を観察できた。
 そんな時、この稼業で「得した気分」になる。意地悪に尖った視線(苦笑)が消える。すると観察メモを取らなくなる。授業を受けている子どもたちの「日常生活」を学習態度から想像する。こんな家庭に育っているのかな?発達段階と子供らしい表現の摺り合わせを始める。教師の発問や指示に対しての反応を見詰めながら「どんな遊びに興じているのだろうか」と空想する。何故ならば、「遊びの世界」からしか規範意識は育たないからである。子どもは子どもなりに、その集団力を判断して「独自のきまり・やくそく」を編み出す天才だからである。遊び仲間で人格も変わってくる。「良く遊べ」とは上手く言及したことだと感心する。
 小生は、この学級の全体的な様相を見るために「教壇側」に教師と同じ向きで子どもたちと向き合う。稼業の本務を達成するための「きまり」としている。この授業には、「この目線」は特に大事であることを休み時間の運動場で発見している。遊んでいた7人の男女児の動きの激しさに接して判断したのである。現代語で表現すれば「パワフル」な遊びの興じ方だったからである。男児に劣らない女児の力感には度肝を抜かれた。その女児を授業中に探した。直ぐにわかった。
 個の学習集団を相手に「45分間授業が成立する」ためには並みの指導技術では無理であると睨んだ。あと数か月は必要だろう?しかし、それはこの担任教師の力量を推し量っての結論である。「学校教育から遠ざかる」夏季休業(時間)が待ち伏せている。「怖いもの知らず」の集団であると直視した。女児だからと侮るとひっくり返されるような風貌も垣間見えた。
 事前情報として学校長から、「説得して担任を受けて貰った」という説明を受けている。教室に一歩足を入れた瞬間に納得した。しかし、僅か3ヶ月で「様になる」レベルまで指導が届いていることに驚嘆した。
 2年生の算数の授業は写真から読み取れる。  
 授業者の反省が2点あった。①指導要領が求めているレベルより「高い」位置に「めあて」を置いた。②ノート指導の分量が多すぎた。
 グループ協議の後、まとめが発表され最後に小生の「講評と指導」の時間である。与えられた時間は60分間である。協議会の会場が「教師と児童の合戦の場」であることに臨場感があり最高である。①②とも、小生の「独断と偏見」を基準にするならば、さらに「もっと高い位置」を本時の授業の「めあて」にして挑んで欲しいと思うばかりである。なぜならば、その「めあて」以上に、動くことが出来るパワーを兼ね備えている軍団だからである。ノートの「書き方」は分量ではない。「意識・意欲」の問題なのである。エネルギッシュな子ども集団と出会うと、教師集団は「管理・統率」だけを優先させ、先輩諸兄の「悪しき」指導法を(その時代からはかなりの年数が経ているにも関わらず)授業研究協議会で研修するのであろう。小生は、若き教師時代(そんな日々もあった、決まって反論した。「時代が違う」との抵抗には多くの先輩教師に叱咤をいただいた(笑)。反面教師(指導)論はこんな時育まれたようだ。
 2年生には「常識と言う指導要領だけ」では太刀打ちできないほどの「遊・学」のマグマが溜まっている。そんな集団に立ち向かっている一人の教師の、前向きな熱意に「拍手する」心境になった。
 小生は、誉めたり認めたりすることが決して苦手な訳ではない。こんな児童たちと格闘する教師と出会ったことが殆ど無いだけである。40代の教員(らしい)が、今まで見たことのパワフル(学習)軍団に合わせて「高いめあて」を考えるほどの格闘をしている光景を見たことも無いからである。
 この学校は、広島市と合併して何年も経っていない100年以上もの歴史を有する小学校らしい。合併前の「町民意識」を大事にしながら、都市部を意識した授業改革をこの学校から発信して欲しい。期待したくなったのは『かわいい子供たち』のパワフルなエネルギーに応えてあげて欲しくなったからである。

2012/07/05

旅日記(広島編)


 ~初めての(広島)空路入りに~

 胸ときめくわが心に、我ながら不思議な人間であることを今更ながら驚く。そんな旅の朝である。3時起床は珍しくは無いが、起床して2時間後には出発するリズムは久しぶりである。何十回も広島を訪問している「陸路・旅人」が、広島空港から目的地に向かう心情に昂ぶりを抑えさせることは困難である。

 4時ごろ、昨日の続きを見たくて庭に下りる。

いつもより暗い空気の中に更に3輪の花が開花しているのがわかる。大喜びを隠し切れないが、数日間後に帰宅する主には堪らないほどの嬉しさでもある。

 これから、広島に向かって出発します。帰宅後の旅日記をお楽しみに!!行ってまいります。

2012/07/04

「期待される反応」に思う


 ~見える反応・見えない反応~
 植物とも動物とも「意識的な共生」の実体験は無い。
 「小・中・高校生」の反応を意識して授業等を通して「共に生きて」来た、と言えばカッコいいが、そんな素晴らしい人生でもなかった。「見える反応」には一喜一憂しつつ、見過ごしてしまった「見えない反応」には鈍感だった、と今頃反省しても褒められるモノではない。
 タネを蒔いて、芽が出た(有反応)ら喜ぶ。枯れた新芽にはその現象に至る無反応にどうしようもない我が無能さを詰る。あっという間に成長する(有反応)には『期待をかける』我儘さが存在する。
 話題にした大輪のユリ(=カサブランカ)にも『期待される反応』を期待し続けた。一向に有反応を受け止められない成長ぶりには焦燥感と不安感が募るばかりだった。『期待される反応』とは大輪の花を咲かせてくれることである。授業でも「期待される反応」は興味関心を旺盛にして生き生きと学習する姿勢であった。教師と言う稼業の我儘な貪欲さをしみじみ反省させられている。植栽に接してからである。
 モノを言わない。無反応な植物には期待される反応が期待できない。
 しかし、静かな反応を成長として見せてくれた大輪が咲いた。しかも、一気に二輪も咲いていた。早朝4時の「期待された反応」を見届けた老夫婦には言葉には表せない。感動以外何もない。「咲いたね」の言葉をリピートし合いながら期待に応えてくれた植物に、思わず口をついて出た言葉が「ありがとう」であった。
 この「こころ」は教師によって「期待される反応」が要求される生徒諸君に向かっても「心から叫ぶ」言葉としても通用しそうな気がしてならない。偉そうに言えた先輩でもないが、敢えてこの写真に代わって後輩諸兄にも伝えたくなっている心境をお許し願いたい。同時に、「反応すること」に命がけで頑張ってくれた卒業生諸君に、受け止めることも出来ないままに終わった無能な教師としても、改めて「ありがとう」を言わせてもらいたい朝である。

2012/07/03

華やかな我が家の『猫の額』

 ~「収穫と鑑賞」の二重奏~
 ブログに再三登場する話題なので読者諸兄にはそれぞれの空想が浮かんでいるようです。反響のメールに、「初体験」の感動を抑えることの難しさを痛感しているところです(笑)。
 昨日は、梅雨空の陽射しを見つけて妻と午後の歩禅に出向いて気づきました。農家が並ぶコースを歩きながら庭先に咲き誇る百合の花の群生には魅入ってしまいました。赤・白・黄色・赤紫と咲き誇る庭先からは独特な花の香りが届きました。今や、時期は「ユリの季節」だと自覚するほどでした。
 帰宅して、我が家の『猫の額』にも、その季節感を運んでくれそうなカサブランカの蕾が白くなり大きな膨らみを見せ始めているではありませんか。硬いままで花を咲かせるところまでは栽培し切れないのではないか、と毎日のように覗きに行っては自信を喪失しかけていた所でした。素人目にも「これは咲くぞ!」との実感がわいてきたのでデジカメに撮ったのです。名古屋に住む知人(専門家)にその写真を送信しました。程なく返信が届きました。「間もなく開花ですね」との文字を見つけて妻と二人で、まるで「孫の受胎」の知らせでも受けたかのように喜んでしまいました。小生を良く知る読者諸兄には想像できないシーンかも知れませんね(笑)。
 生りはじめたキュウリの蔓には次から次へと成長したキュウリが獲れます。孫たちは「お祖母ちゃん、洗って」を捥いだキュウリを台所に持ってきました。新鮮な状態での齧り付きは美味の様です。その光景にも感動です。新鮮なインゲンの料理も、今まで「食べない」との孫の情報を却下してくれました。ダリアの花も仏壇の花として十分な役目を果たしてくれいます。
 何気なく植栽した野菜と花が、見事にその成果を見せ始めました。「土壌」が良いのでしょうね、との妻の評価も当たっているようです。
 花も野菜もそれぞれの発育を見せ、その個性を顕示しています。水やりも素人にはとても難しいのですが、心配をよそに見事な成果を見せて貰って来季への意欲が盛り上がっている老夫婦の近況です。
 今日は自己健康管理として継続的に通院している『鍼診療』に出かける日です。11年間も続けている夫婦には「医者要らず」の生活の保障を享受しています。行ってまいります!帰って来るころにはカサブランカの花が咲いているかな?

2012/07/02

健康寿命

 ~寝たきりに「なる人」「ならない人」~
 立ち読みしながら記事の内容に惹かされて1冊の週刊誌を買ってしまった。レジで値段を聞いた瞬間、躊躇してしまった(笑)。1冊400円の週刊誌時代になったことを実感したのは、高知へ向かうために羽田空港に行った時の貴重な体験だった。半値ぐらいの価値観を持ち続けている時代遅れを意識せざるを得ない。

 日本人の平均寿命は長く世界のトップレベルにあるが、その一方で認知症や寝たきりで介護が必要になる高齢者が増加し、大きな問題となっている。誰しもが抱く、いつまでも健康で長生きしたいという願い。この度発表された厚生労働省の『健康寿命』調査を分析すると、「今。すべきこと」が見えてきた・・・・・。(記事を転写)

 健康寿命とはどのようなものか。2000年にWHOが打ち出した概念では、介護を受けたり寝たきりになったりせず、自立して健康に生活できる寿命を示す(当・週刊誌による)。日本国内での算出は今回が初めてだそうだ。これが『健康寿命』47都道府県ランキング、として1ページに一覧表となっている(写真版)。
 不思議な思いがするのは小生のように熊本県(18年)、神奈川県(48年)、茨城県(2年)と渡り歩いている人類である。都道府県ランキングのどこに注視するのか。年数からしても神奈川県だろうな、と注目しながらも起点は「自身の生活」であることだと言い聞かせる。それでもやっぱり気になった。食生活の視点から「食材」が話題になってはいるが『健康寿命』の定義だけは強烈にインプットされた。
 小生もあと2年で古稀を迎えるが、平均寿命(女性・86歳/男性・80歳)までには程遠い

 ①「年をとっても寝たきりにならず、自立していられるのは、働ける場所があるからでしょう。昔から生産業が盛んな地域で、働ける環境が充実し経済的にも安定している」②「働くことにより経済的な安定がもたらされる。さらに、他人と関わる機会が増え、社会から必要とされているという意識も得られる。こうした精神面の効果も健康寿命の一因になっているのではないか」(いずれも記事転写)

 家人から、「無理して働かなくても・・・」との抑制的発言が耳に入るようになっている。小生も時として疲労感の蓄積を体感すると「止めても良い時期かな」との自答も成立する雰囲気になっていた。空路を選んだのも疲労度の回避のためであった。そんな折に、この記事である。考察②を読み返しながら、迷惑にならない程度で要請には応えられるように自己管理を進めるべきだろうとの勝手な結論に達しつつあるのが、偽らざる現況である。週末には広島市を働き場所として空路で往復することになっている。要請に応えるべく「しっかり働いて」まいりましょうか(笑)。

2012/07/01

今日は何の日?(2)

 ~「半夏生」と農作物~
 朝9時半に家を出て常磐線に揺られ上野駅経由で秋葉原駅で乗り換える。目的地駅は千駄ヶ谷である。お伴は長男一家(長男と孫3人)で、行き先は神宮球場である。下車駅を千駄ヶ谷駅にしたのは、国立競技場をサッカー少年の息子に紹介したかったらしい。上野駅から地下鉄で一直線の行程を変更したのは孫には大受けのようだった。「ここでサッカーの試合が見てみたい」と呟いたのがそれを証明していた。4歳の孫もお兄ちゃんたちの歩調に負けずに神宮球場まで歩いた。真夏のような陽射しが球場全体に降り注ぎ、ゲーム展開の興奮との相乗効果で全身が火照る思いで試合終了まで付き合ってしまった。疲れました!
 そんな翌朝は早起き爺さんも少々朝寝坊。布団に横になったままの耳にラジオから「半夏生」の言葉が何度も入り込んでくる。ふと亡祖母の声を思い出してしまった。半夏生と言う言語への連鎖反応であろうか。半夏生の朝の祖母の姿が蘇る。庭の隅にあった「井戸」に蓋をしてくるように指示された言葉も浮かんでくる。「明、井戸に毒が入るけん(=から)蓋ば(=を)して来んかい(=来なさい)」との指示だった。言われた意味も解らず言われたとおりに「釣井戸」に向かった。備え付けの木の蓋(数枚の板切れ)を隙間が出来ないようにして用を済ませた。
 どうしてこの日だけ、「井戸に毒が入るんだろう」と、不思議に思って祖母に聞いた。田植えが終わってしまった後の日の梅雨時期の雨には毒が入っている、と言ったのである。祖母らしい表現で説明をしてくれたのだが、未だに意味不明である(笑)。梅雨時期に成熟する梅の実は、解毒作用の効能があることもその後知ることになるが、「毒」と「雨」と「(農業)作物」の関連を繋ぎながら考えても未だに不明である。
 日本人の「生活の知恵」の泉の幅と深さをしみじみと感じる今日の日の朝である。半夏生という名称の植物(写真)をみると毒とは無縁な「清楚な佇まい」を感じるのは小生だけだろうか?

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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