2012/07/04

「期待される反応」に思う


 ~見える反応・見えない反応~
 植物とも動物とも「意識的な共生」の実体験は無い。
 「小・中・高校生」の反応を意識して授業等を通して「共に生きて」来た、と言えばカッコいいが、そんな素晴らしい人生でもなかった。「見える反応」には一喜一憂しつつ、見過ごしてしまった「見えない反応」には鈍感だった、と今頃反省しても褒められるモノではない。
 タネを蒔いて、芽が出た(有反応)ら喜ぶ。枯れた新芽にはその現象に至る無反応にどうしようもない我が無能さを詰る。あっという間に成長する(有反応)には『期待をかける』我儘さが存在する。
 話題にした大輪のユリ(=カサブランカ)にも『期待される反応』を期待し続けた。一向に有反応を受け止められない成長ぶりには焦燥感と不安感が募るばかりだった。『期待される反応』とは大輪の花を咲かせてくれることである。授業でも「期待される反応」は興味関心を旺盛にして生き生きと学習する姿勢であった。教師と言う稼業の我儘な貪欲さをしみじみ反省させられている。植栽に接してからである。
 モノを言わない。無反応な植物には期待される反応が期待できない。
 しかし、静かな反応を成長として見せてくれた大輪が咲いた。しかも、一気に二輪も咲いていた。早朝4時の「期待された反応」を見届けた老夫婦には言葉には表せない。感動以外何もない。「咲いたね」の言葉をリピートし合いながら期待に応えてくれた植物に、思わず口をついて出た言葉が「ありがとう」であった。
 この「こころ」は教師によって「期待される反応」が要求される生徒諸君に向かっても「心から叫ぶ」言葉としても通用しそうな気がしてならない。偉そうに言えた先輩でもないが、敢えてこの写真に代わって後輩諸兄にも伝えたくなっている心境をお許し願いたい。同時に、「反応すること」に命がけで頑張ってくれた卒業生諸君に、受け止めることも出来ないままに終わった無能な教師としても、改めて「ありがとう」を言わせてもらいたい朝である。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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