歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
2012/07/13
第17回教育実践『響の会』夏季特別セミナー
~お詫び:ご案内が遅れました!~
新米の校長になった平成8(1996)年8月に第1回目(正規の)のセミナーを開くことになったのが始発駅である。それまでの数年間の行政生活の中で考案した「教員を育てる」構想の具現化を一歩だけ前進した教員の自主研修会である。その後は紆余曲折もあり、人事異動の影響もあり運営は決して順風満帆ではなかったが17回目をご案内できることは至福である。
期日:平成24年8月4日(土)10:00~16:45(受付9:30)
会場:神奈川県茅ケ崎市民文化会館・会議室(JR東海道線「茅ヶ崎駅」より徒歩5分
詳細は右欄(小生の公式ホームページ)をクリックして頂いて『案内版』をご覧ください。広島『響の会』(代表・山﨑幸徳)のHPには案内がアップされています。
加齢の証拠は「回顧と懐古」の連続症状が出ることだそうだ。
小生の人生には回顧は多く存在しても懐古は殆ど無い。「顧みながら省みる」ことを主宰者として意識して『響の会』を創設した。大それた理念などは無い。当時の仲間に担がれて「お神輿の載ってしまった」ことへの回顧(笑)は、充足感だけを小生にもたらしてくれた。52歳の『若さ』を登載している我が歴史の1ページだけでしかない。周囲の人脈に恵まれて「良くぞ続いたモノだ」と案内板を見詰めながら、性格に似合わぬ「感傷に浸る」朝でもある。
財源的な支援を一切受けずに「自給自足」的な運営は、集う仲間の「木戸銭」だけでやりくりすることである。後継者諸兄に相当な苦労を押し付けたようなことも回顧している。
今回も、夏季休業中の「研修会最盛期」に開催することもあり、全国から参集される参会者も立派な講師や研究者から得ることの多い研修会との天秤選択で苦慮されるのではないかと案じている。再会を楽しみにして、小生もここ茨城県から出向することにしている。
久しぶりの「里帰り」も兼ねて、茅ヶ崎のホテルを予約した。
この会を立ち上げた当時の同僚が眠る墓地への「お礼」詣もしたいと考えている。大学生時代におせわになった「恩人のご家族」にも日頃のご無沙汰をお詫びして仏前にお花を供えたいとも考えている。
案内版をご希望の方はメールでご請求願います。当方から添付ファイルで送信します。グレードが合わず「開かない」恐れのある方は上述の指示に従ってご覧ください。
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自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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