2012/07/09

今朝のラジオを聴きながら

~出会いは「偶然」から始まる~
 大田 尭(おおたたかし)氏(94歳)の声を聞きながら戦慄が走る。恥ずかしいことにお名前を存じ上げないことが戦慄の原因の一つであった。アナウンサーから「教育研究家」と紹介された時点での動揺はさほど大きいモノではなかった。耳を傾けながら戦慄が走る症状に変わった。教育は「いのち」を原点にして考えることを忘れていけない、との言葉が連発され、愚かな耳はいつの間にか釘浸けになってしまった。
 「命」と「授業」の関わりの深さを感じていなかった訳ではない。友人(同僚教師だった)が余命の宣告を受けて相談して来た時点で「命の授業」(仮称)の実践を推奨したのも小生だったのだから、氏の言葉に違和感などはなかった。しかし、その後の話題で発せられた言葉はダメ押しだった。
 「出会い」は偶然でしか生まれない。
 必然な出会いは運命なのだろうか。東奔西走しながら旅先での「新しい出会い」との遭遇は、全く『偶然』そのものでしかない。しかし、「会うべくして会った」と深く考えてしまうほど出会いもある。誰かの演出でもあるのではないか、と考えてしまうほどの出会いもある。これは、会うべくして会う「運命の悪戯」なのかも知れない。氏は、「いのち」もあるモノとあるモノとの「出会い」から発生すると仰るのか?久しぶりに肝を揺るがす哲学であった。氏のことについて調べながら、同業種(業界)に居ながら存じ上げなかった勉強不足を恥じ入ってしまった。
 数日前に訪れた広島県の、本郷町・名誉市民であると知れば知る程に広島にご縁のある小生としては正に正真正銘の「偶然」と驚いてしまう。今日の続編は明日も放送される。ご著書を注文した。無性に読んでみたくなっている朝である。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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