2012/07/15

利根川は水量より『濁り』


 ~上流での雨量が翌日には流れて来る!~
 九州・球磨川の下流に位置する生まれ故郷の八代市は水量に恵まれ、農業用水にその恩恵は十分である。そんな地形で育った小生には「雨との共存」での知識にあ沢山の財産がある。
 当時は、人吉市という上流の都市部や更に上流の九州山地での雨量を農家の人たちは少ない情報下で雲行きや風の方向で判断をしていた。農家ばかりの周囲では立ち話は情報源だったのではないかと思えるほどであった。
 大雨の後、晴れ上がった夏空からはイヤと言うほどの陽射しがあった。少年たちは口々に「泳ぎに行こう」と言葉を発しながら準備をしたものだった。数名の悪童連中が集合して来るのが我が家であった。
 そんな時に限って小屋で仕事をしている祖母が「楽しい遊び」を冷たく妨害した。小さな川であるから危険への意識も少ない、との素人判断が災いの素。止められれば諦めるしかない。泳げるばかりに準備をした連中は不平不満を口走りながらも帰宅していく。祖母の口癖が、幼い少年の脳裏に突き刺さる。川の水は、上流の天気が作るのだから、昨夜の雨雲だと相当な雨量になっている。それがここまで流れてくる。深さだけでなく濁りが健康を害するとの叱咤内容であった。大雨の後、川の様子を見に出かけた農家の人でさえ思いもかけぬ事故でおぼれて命を落としているニュースは今回も耳にした。祖母は決まって追い打ちを掛けた。「自然をバカにしちゃいけない」と。
 この歳になってしみじみと胸を打つのが祖母の言葉である。
 一昨日から、千葉県佐倉市に住む長女宅を訪問しようと予定をしていた。生憎の雨模様は九州から東北まで集中豪雨の特徴があるとの予報をテレビやラジオで知った。当地から長女までの道程には「利根川」という最大の河川を渡るのである。上流での雨量を気にしながら気象予報に注視して一昨日の予定を急きょの変更で昨日の午前中にした。そして一泊の予定で行くことにした。
 同居する末の孫が同伴するとの申し出に「祖母の言葉」を反芻して出かけた。孫の身に万が一のことが起きては後悔も何もないからである。無事に用務を済ませて午後3時前には帰宅できた。利根川の水量は思った程ではなかったが「濁り」は連日の上流での降水を証明していた。
 久しぶりの長女宅で孫たちと楽しく過ごして英気を養って帰宅した。同伴した4歳の孫の成長ぶりには「嬉しい誤算」というご褒美もあった。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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