2012/07/26

イチローくんは日本人


 ~大人物には誤解は付き物?~
 注目すればするほど勝手な想像で評価するモノなのだろうなぁ~。この人物が話題になるとしみじみ、そう思うのは小生だけだろうか。その想像の中に「誤解」が潜んでいるのかも知れない。そして、その誤解が羨望と嫉妬に彩られて当事者が「居たたまれない」所まで追い込んでしまうのだろうか。彼が19歳の「青年」の頃、一度だけ会ったことがある。ここでは詳しく述べることは出来ないが、初対面の感想は「変わりモン・協調性の無い」若者としてだけの印象であった。凡庸な「せんせい(=当時はバリバリの現職)」は誤解(思い込み)の上に胡坐をかいて、単なる個性として評価していたようだ(恥)。
 電撃的なニュースは早朝の「ネットニュース」で知った。直ぐに開いて詳細を覗きこんだ。そして、この写真をゲットした。この1枚の『姿勢・態度』に脳天を割られた。その後、ラジオからもテレビからも「イチローのトレード」が話題になった。そして、記者会見を垣間見ながら、また、言葉に言えない屈辱感すら抱いてしまった。
 アメリカ(野球発祥の地)で通じる訳がないじゃん!体格差を考えれば考えるほどその結論は誤解となって老脳を支配した。前人未到の大リーグ記録を塗り替えるほどの押しも押されもせぬ大リーガーに成長した彼の他者に言えない自己鍛錬は多くの人が知らない。スポーツは結果や記録が全てである。契約金など興味は全くないが、プロ選手はこれもその価値を裏付ける。トレードも「自らの意思」であることがわかると「日本人」とはかけ離れてしまう。
 多くの部分が「誤解で」成り立った虚像が、この写真一枚と記者会見の涙目が誤解を証明してくれた。四半世紀を日本人として日本で育った日本人が、日本のプロ野球を捨てて(=誤解であった)アメリカの大リーグに向かった彼の深意はそんなチャチな誤解など相手にしてはいなかったようだ。
 お辞儀をする日本人を善しとしない風潮があるらしい。しかし、大観衆に向かって深々と頭を下げる(=お辞儀する)光景には頭が下がってしまった。ヘルメットとバットを手にして、観客に向けて数回のお辞儀する光景には、「日本人」としての彼の誇りが満載されていた。目頭が熱くなったのは小生だけではあるまい。
 日本人が忘れ去りそうな、(日本人らしい)礼儀作法を外国の地で示してくれた大スターに感激してしまった。ピークを過ぎた(これも小市民の誤解??)彼の今後の言動に母国を偲ばせるモノを更に期待したい。
ただ一面に立ち込めた・・・そんな歌詞が浮かんできた早朝歩禅のスナップです。
04:30~05:25【6300歩】

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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