2012/07/08

旅日記≪私の『授業観察・記』≫


 ~良いモノは良い、悪いモノは悪い~
 小生の稼業は「授業観察」が本務である。
 従って好むと好まざるにかかわらず設定された教室には足を運ばなければならない。教室に入った瞬間から退出したくなる授業と「お付き合い」することが時々ある。これは拷問に等しい。そんな時、小生の視線は自愛の心に変わる。いや、同情心に満たされた眼差しに変わるのである。「キミたちはこんな授業に45(50)分間も耐えているんだね」と言う心からの叫びなのである。
 このブログの読者の9割(推定)は教員である。≪教育関係者以外の読者の方には申し訳ありませんが、今日は我慢して素読して頂きたい。≫当方は教員の先輩であるので、「そこまで言うの?」と毛嫌いされるレベルまで言及できるのである。それは自己反省に基づくモノであることをご理解願いたい。そんな授業をしていた過去を思い出しつつ、苦言を呈して頂いた諸先輩のお言葉を紡ぎつつ、「恩送り(=恩返しではない)」を丁寧に実践しているつもりだけなのである。
 『良い授業』を観察できた。
 そんな時、この稼業で「得した気分」になる。意地悪に尖った視線(苦笑)が消える。すると観察メモを取らなくなる。授業を受けている子どもたちの「日常生活」を学習態度から想像する。こんな家庭に育っているのかな?発達段階と子供らしい表現の摺り合わせを始める。教師の発問や指示に対しての反応を見詰めながら「どんな遊びに興じているのだろうか」と空想する。何故ならば、「遊びの世界」からしか規範意識は育たないからである。子どもは子どもなりに、その集団力を判断して「独自のきまり・やくそく」を編み出す天才だからである。遊び仲間で人格も変わってくる。「良く遊べ」とは上手く言及したことだと感心する。
 小生は、この学級の全体的な様相を見るために「教壇側」に教師と同じ向きで子どもたちと向き合う。稼業の本務を達成するための「きまり」としている。この授業には、「この目線」は特に大事であることを休み時間の運動場で発見している。遊んでいた7人の男女児の動きの激しさに接して判断したのである。現代語で表現すれば「パワフル」な遊びの興じ方だったからである。男児に劣らない女児の力感には度肝を抜かれた。その女児を授業中に探した。直ぐにわかった。
 個の学習集団を相手に「45分間授業が成立する」ためには並みの指導技術では無理であると睨んだ。あと数か月は必要だろう?しかし、それはこの担任教師の力量を推し量っての結論である。「学校教育から遠ざかる」夏季休業(時間)が待ち伏せている。「怖いもの知らず」の集団であると直視した。女児だからと侮るとひっくり返されるような風貌も垣間見えた。
 事前情報として学校長から、「説得して担任を受けて貰った」という説明を受けている。教室に一歩足を入れた瞬間に納得した。しかし、僅か3ヶ月で「様になる」レベルまで指導が届いていることに驚嘆した。
 2年生の算数の授業は写真から読み取れる。  
 授業者の反省が2点あった。①指導要領が求めているレベルより「高い」位置に「めあて」を置いた。②ノート指導の分量が多すぎた。
 グループ協議の後、まとめが発表され最後に小生の「講評と指導」の時間である。与えられた時間は60分間である。協議会の会場が「教師と児童の合戦の場」であることに臨場感があり最高である。①②とも、小生の「独断と偏見」を基準にするならば、さらに「もっと高い位置」を本時の授業の「めあて」にして挑んで欲しいと思うばかりである。なぜならば、その「めあて」以上に、動くことが出来るパワーを兼ね備えている軍団だからである。ノートの「書き方」は分量ではない。「意識・意欲」の問題なのである。エネルギッシュな子ども集団と出会うと、教師集団は「管理・統率」だけを優先させ、先輩諸兄の「悪しき」指導法を(その時代からはかなりの年数が経ているにも関わらず)授業研究協議会で研修するのであろう。小生は、若き教師時代(そんな日々もあった、決まって反論した。「時代が違う」との抵抗には多くの先輩教師に叱咤をいただいた(笑)。反面教師(指導)論はこんな時育まれたようだ。
 2年生には「常識と言う指導要領だけ」では太刀打ちできないほどの「遊・学」のマグマが溜まっている。そんな集団に立ち向かっている一人の教師の、前向きな熱意に「拍手する」心境になった。
 小生は、誉めたり認めたりすることが決して苦手な訳ではない。こんな児童たちと格闘する教師と出会ったことが殆ど無いだけである。40代の教員(らしい)が、今まで見たことのパワフル(学習)軍団に合わせて「高いめあて」を考えるほどの格闘をしている光景を見たことも無いからである。
 この学校は、広島市と合併して何年も経っていない100年以上もの歴史を有する小学校らしい。合併前の「町民意識」を大事にしながら、都市部を意識した授業改革をこの学校から発信して欲しい。期待したくなったのは『かわいい子供たち』のパワフルなエネルギーに応えてあげて欲しくなったからである。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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