2012/07/17

ちっちゃな『夢』


 ~墓前に供える「花」ぐらいは手作りで・・~
 神奈川県茅ケ崎市に在住の折りに、当地に両親の墓が完成した。
 年に二度の「お彼岸」と、そして「盆と正月」の墓参は欠かさないようにと心がけて土浦までやって来た。来ることが出来ない時もあったが電車を乗り継いで3時間半をかけて当地に通って来ていた。道中、妻が「歩いてでも墓参りが出来るようになれば・・・」との願望が口をついて出たこともあった。長男が家を建て永住の準備をし始めた頃、呑みながらその話題を出した。幸いにも嫁の実家は寺院である。大きな霊園もあったようだ。長男にとっては大好きだった祖父母のお墓を作るのは夢だったそうだ。
 小生夫婦も当地に昨年転居した。妻の「歩いて出来る墓参」の夢も叶った。妻のちっちゃな『夢』は生花店で購入した豪華な花を供えるより、庭先で栽培した手作りの花を供えてあげたいとのことも判明した。知識ゼロの小生は、取り敢えず「夏咲く」花を選んで春先に種を蒔いて、苗を植えて球根を埋めた(笑)。小生の人生哲学そのものである。「先ずは、植えて(蒔いて)みなければ先は見えん!」の勢いで無鉄砲な始発だった。全く素人の二人にとっては「お先真っ暗」な夢の実現のスタートだった。
 ダリアが咲いた。グラジオラスも色とりどりに咲いた。向日葵も咲いた。仏壇には一輪咲いては供えていたが、一気に沢山の花が咲いたので、「切り取ってお墓に持って行こうよ」、と声を掛けた。体調がイマイチの妻が腰を上げた。
 この夏日に歩くのは酷である。陽射しが陰る頃待って墓地まで車で出かけた。この時期は「造花」を入れてあるが右側に集めて空いた左側に、我が家の『猫の額』に咲いた花を挿した(写真)。「明日は枯れるよね」と言いながら水を入れる妻も満更でもない様子だった。ホンのちっちゃな妻の夢は、サイズでも無ければ、豪華さでも無い。親を思う子どもの優しさの「心の重さ」なんだ、と墓前に額づく妻の後ろ姿を見ながら感じ入った。
 この親不孝な息子も、「親の墓参りでもするか」の心境になった真夏日の夕暮れだった。しかし、やっぱり、九州は遠いなぁ~。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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