2012/07/01

今日は何の日?(2)

 ~「半夏生」と農作物~
 朝9時半に家を出て常磐線に揺られ上野駅経由で秋葉原駅で乗り換える。目的地駅は千駄ヶ谷である。お伴は長男一家(長男と孫3人)で、行き先は神宮球場である。下車駅を千駄ヶ谷駅にしたのは、国立競技場をサッカー少年の息子に紹介したかったらしい。上野駅から地下鉄で一直線の行程を変更したのは孫には大受けのようだった。「ここでサッカーの試合が見てみたい」と呟いたのがそれを証明していた。4歳の孫もお兄ちゃんたちの歩調に負けずに神宮球場まで歩いた。真夏のような陽射しが球場全体に降り注ぎ、ゲーム展開の興奮との相乗効果で全身が火照る思いで試合終了まで付き合ってしまった。疲れました!
 そんな翌朝は早起き爺さんも少々朝寝坊。布団に横になったままの耳にラジオから「半夏生」の言葉が何度も入り込んでくる。ふと亡祖母の声を思い出してしまった。半夏生と言う言語への連鎖反応であろうか。半夏生の朝の祖母の姿が蘇る。庭の隅にあった「井戸」に蓋をしてくるように指示された言葉も浮かんでくる。「明、井戸に毒が入るけん(=から)蓋ば(=を)して来んかい(=来なさい)」との指示だった。言われた意味も解らず言われたとおりに「釣井戸」に向かった。備え付けの木の蓋(数枚の板切れ)を隙間が出来ないようにして用を済ませた。
 どうしてこの日だけ、「井戸に毒が入るんだろう」と、不思議に思って祖母に聞いた。田植えが終わってしまった後の日の梅雨時期の雨には毒が入っている、と言ったのである。祖母らしい表現で説明をしてくれたのだが、未だに意味不明である(笑)。梅雨時期に成熟する梅の実は、解毒作用の効能があることもその後知ることになるが、「毒」と「雨」と「(農業)作物」の関連を繋ぎながら考えても未だに不明である。
 日本人の「生活の知恵」の泉の幅と深さをしみじみと感じる今日の日の朝である。半夏生という名称の植物(写真)をみると毒とは無縁な「清楚な佇まい」を感じるのは小生だけだろうか?

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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