今朝の歩禅道脇の蓮田で撮りました。恩師のご冥福を祈りつつ・・・
恩師という「教育力」
「小生を知る」程にお付き合いのある方なら、小学生時代の恩師の話は耳にタコが出来るほどに聞かされたことだろう。それほどまでに「影響力をいただいた」人物である。義父母の介護のために退職を1年残したままで退職して郷里に帰ったのが平成16(2004)年の4月であった。18歳で故郷を離れたが41年間住み慣れた神奈川県茅ケ崎市から一旦帰郷した。生活の本拠地を移動したので少年時代を過ごした熊本県八代市で生活を始めたのである。同級生や後輩諸君との旧交を温める機会も多くなり携帯電話番号を知らせる友人も増えた頃である。仕事で茅ヶ崎の自宅に戻ったばかりの所に一人の後輩から電話が掛かって来た。てっきり「呑みましょうよ」の電話だと思ったが、浮き浮き気分が吹っ飛んだ。恩師の訃報を知らせる電話だったからである。急いで、九州へのとんぼ返りで戻って通夜にも告別式にも参列できた。
これって幸せなのか?会場で少年時代の友人知人と再会できたことも至福か?自問自答しつつも、ご長男(喪主)のご依頼で「送別の辞」を述べることとなった。遺影の写真と向き合って感謝の意を伝えることにした。走馬灯に映る「恩師」の百面相(笑)が妙に鮮明だった。
怒鳴る・叱る・叩く・殴る・泣く・・・・・・恩師のお姿は留まることなく走馬灯に映し出され、今にも立ちあがって来られるような臨場感にまで至る程だった。数分間の「お別れ」の対面は自らの半生を総括するモノだった。お通夜の終わった会場でご長男夫妻と話すことができた。お世話になった感謝の言葉を伝えて帰宅した。送迎をしてくれた後輩たちとも、恩師との思い出話の話題には事欠かなかった。当時の「散歩日記」(現・歩禅記)に以下を記している。
平成17年7月21日(木)晴
昨夜の訃報で意気消沈。死語になったと言われる「恩師」。その恩師の悲報に接した。我が耳を疑いたかった。まだ十分にお若い。小学校四年生として通っていた小学校に新進気鋭の眩しいばかりの先生が着任された。今、考えてみると十数歳しか違わなかったのに子どもの目には素晴らしい大人の姿だった。ご縁があって翌年、五年生から学級担任として卒業までの二年間厳しくも優しい指導を受けることが出来た。幸運な出会いとはこんなものなのだ。一人の少年には熱き夢とロマンが注入された。ご指導に応えたいために泣きながら懸命に取り組んだ。当時の「少年の未来」が今の姿である。
昨年の還暦同窓会でお話しができた。一旦故郷に帰っていたので、いつでもお会いできると油断をしてしまった。今日は、午後から帰路に着く。明日の告別式に参列するためである。生きた会話が出来ないのが残念至極。恩師の教えをここで、深く考えねば!
早朝歩禅から元気で帰宅しました。栗の実が、もうこんなに大きくなっていますよ。寒い!
=7月20日(金) 04:45~05:35(6500歩)=
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