この新聞記事は本場所3日目の報道である。記事の最後の3行に注目したい。
~『気になる力士』に魅かれてTV観戦~
最終日(千秋楽)までの2週間は退屈しない。ご贔屓の力士(写真・上)が登場する時間に合わせてのTV観戦は初場所辺りからどんどん熱を帯びてきた。外国人力士を毛嫌いしている訳ではないが、相撲発祥の国としての国民としては日本人力士の活躍に心躍るのは決して不思議ではあるまい。
読者諸兄で3月13日付きの当ブログに記憶がお有りだろうか?
小生が魅かれた力士のことをチョッピリ記した部分がある。長い間「運動選手の育成」に心血を注いだ(笑)小生には、多くの(スポーツ)種目を技術的な部分を奥底までの知る訳ではない。「視た瞬時」の閃きと言うのだろうか、『惹き付けられる』選手と時々遭遇するのである。ここでは大相撲業界で『惹き付けられる』選手(力士)として読んでもらいたい。日本人力士への期待をしては裏切られる(?)相撲ファンとしては、「この力士に・・・」と心ときめく何かを持っている人材に渇望していた。その確信を得たので(前述)ブログに記したのであった。その後も、ファンを裏切ることなく着実な出世(相撲業界用語)を続け、すっかり『虜』になっている。
何がそうさせるのか??
恐らく地道な自己鍛錬(相撲界では「稽古」)であろう。この力士に限らず、全国の学校を「授業研究(=あまり好きではない表現だが)」のために訪問していると、思わず惹き付けられて時間オーバーを意識しつつも教室に留まってしまう教員(男女・経験年齢は不問)と遭遇することがある。至福の時間である。特別に指導するために校長室に呼びつけることを校長さんに強いたことは一度も無い。しかし、そんな人材との遭遇には「目に見えない糸」が存在するらしく、校長さんの思惑もあってか個人的な接触の機会も偶発する。指導らしき時間を共有して別れるが、その後の引力も強い教員とは、授業以外の題材や話材で交信を続けることが出来る。次回の訪問でも、教室を覗きたくなるのは人情である。正に地道な稽古である。
期待する教員には決して「大変身」などは期待してはいない。
「指摘した部分の改善(?)に挑んでくれているか」だけを確認したいのである。教育稼業ほど地味な活動は無いと確信しているからである。教員が「変わろう」と努力し始めただけで学級が変わる。つまり、「ご贔屓にしたい願望」のお客様たち(=児童生徒)が惹き付けられるのである。特段のスキルで「その場しのぎ」の授業をするようでは純粋なファン気質の心は動かせない。見えない部分での稽古(教材研究や指導法の工夫)が、小さな土俵(=授業)で、小さな実りに産むのである。休み時間や放課後に児童生徒と接触する(=これも「稽古する」)教員のいる光景には、子ども同士の「陰湿ないじめ」等芽生える訳が無いのである。
子どもは大人の人生を映す鏡だと先哲に言われた。
稽古を疎かにして金星狙いをする力士人生には魅力を感じない。全国を巡りながら、この力士にも負けない気迫と鍛錬(教育の基礎・基本条件の養成)を続けている教員が、意外と多く居ることが我が喜びである。そんな教員に出会って、「喜びと激励」を与えることができるような力量を潜在させる老輩として余生を過ごしたいのである。
横綱(=校長)になるのが目的で稽古(=授業実践)しているような教員には大きな夢は託さない。先達者を敬愛し、目標人物を掲げ、そしてファン(=児童生徒)をこの世無く愛し続ける。恩を感じて感謝することを大切にする証しとして、後継者育成にも意を注ぐ人材を求めている。性懲りもなく(退職して9年目)、そんな人材発掘を生き甲斐にしている旅人でありたい。
この力士の活躍ぶり見ているだけで、老輩の夢は萎むことはない(謝)。
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