2012/07/29

最近気になる「日本語」


 ~高校生は大人?子ども?~

 正式な区分を問うような呟きではないが、今年も「気になる言葉」を耳にする時期になった。孫たちと高校野球の決勝戦をTVで観ていた。見事な戦いぶりで目出度く全国大会への出場権を獲得された監督さんのインタビューの画面が映る。「子どもたちの頑張りのお蔭です」と感涙の言葉を今年も耳にした。監督さんの年齢が古稀を越えて、孫たち程の年齢差があるとなれば、(全面納得はしないが)、止むを得ないと呑み込んでしまうかも知れない。

 我が子が高校生にもならないような40歳代の指導者が、指導をしている高校生を称して「子ども達」と括るのはどういう心境なのだろう。

 あなたなら?問われれば、私は「選手たち・・・」と表現する。

 中学校や高校の授業者(=教員)も、人によっては「子ども達」と総称する。小学生を「児童」と称しているのだから、中学生や高校生は「生徒」という呼称がぴったりすると思えるのだが、「硬すぎる」分別なのだろうか。半分譲歩して、中学生には妥協しても高校生を「子ども呼ばわり」には合点がいかない。なぜ、こんなことまで言及するか!?それは、「大人になりきれないおとな」をわが国では育成し過ぎていないだろうか、と考えるからである。

 わが子が誕生して成長する過程で「父親観」として確立していた理念がある。私事ながらご紹介しよう。その一つが、「子ども扱いは電車料金に合わせる」である。半額料金で帰省同伴できる年齢が12歳までであることが基盤になっている。子育て時代の妻との合言葉は「1つのボーナスは1回の家族帰省でチャラ(笑)!」であった。それでも給料をいただけることに感謝の気持ちが溢れていたことを電車の中でも子どもたちに語ったモノだった。

 そこで、中学生になったら「弁当は自らの手作り」も強制した。妻(母親)も同意してくれた。起床して登校するまでの時間の使い方はオトナ並みのハードさであったはずだ。今となって考えてみると(母親になっている娘は)感じ入ることがあるのではないだろうか。当然ながら家庭教育環境である。例外が多いことはご理解願いたい。反抗期の中学生を説得するには親も苦労が大きい。しかし、避けては通過できない大事な時期なのである。

 社会が要求する大人料金は「列記とした大人扱い」である。

 中学生や高校生の育成指導にはもっと神経を遣うべきではないか。子どものままの高校生を観ると将来を憂う。親が苦労して高等教育を受けさせているのであれば、「大人として」家庭経済状況も「親として」正面から伝えるべきではないか。政治力で「高校の授業料負担」を軽減することには、莫大な税金が支払われていることも、「大人である国民」ならば真剣に伝えるべきではないだろうか。

 高校生を「子ども扱いする」大人の大人気ない表現にウンザリするのは小生だけだろうか。成熟しきれない大人社会に警鐘を発したい気分になってしまう。

 大活躍してヒーローになって注目を浴びる「選手」が誕生すると、立派な大人社会が歓迎する。そして、安易な気持ちでその世界に突入である。挫折しても自力で這い上がるしかないのが大人社会である。子ども時代には大人や親や先生が優しい言葉や激励の言葉を掛けてくれる。それを糧にして大人ロードを前進するためには大人扱いは重要なのだ。身長が180センチもある軍団を、ただ、「ゲームの勝利」へのスキル指導だけを考えているようでは世の中で活躍して役に立つ人材は作れないような気がしてならない。

 立派な高校生もいる。立派な親もいる。そして、我が子が苦学を覚悟で大学に進学することに胸を痛めながらも支援する親も大勢いる筈だ。大人扱いがされないままに(内面的な成熟がないままに)年齢だけがオトナ領域に達する人種が多くなればなるほど社会は混とんとしてくるに決まっている。理不尽な直訴で自己満足するオトナが増加している証が現代には多過ぎないか!

 「後継者を育てる意識」がこんな小さな所で欠けていると嘯いている爺である。

 今日の早朝歩禅は時間が取れません。6時09分の常磐線の電車で「仕事に向かう」からです。教員採用試験一次合格者対象の最終講座に出講するために横浜に向かからです。大人になりきれないまま教員に合格する「後継者」が気になっています。「この歳になってからでは、もう間に合わん!」と開き直りつつジレンマを感じながら今日は終日の勤務です。猛暑に負けずに頑張ってまいります。

0 件のコメント:

コメントを投稿

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

フォロワー