~『?の思考』時間を再考したい!~
「へそ曲がり」「偏屈者」「変わりモン」等々、小生は若かりし頃には百面相の如くに代名詞が付いた。いや、今でも・・(笑)。故郷では『もっこす』総称されて、決して全否定される通称では無かった。この『もっこす』モンは、鵜呑みや丸呑みが苦手なのである。話者が発した激励や説諭も額面通りに受け止められないのである。
尊敬できる(と思っていた)同僚教員の教室を覗いた時、黒板と天井の間に大きな用紙が貼ってあった。そこには「教室は間違うところだ。間違うことを恥ずかしがらずに思ったことは何でも発表しよう・・・・・。」らしき文章が目に留まった。目がテンになった。この教室で学ぶ生徒諸君は「思いついたら何であろうが先ず勇気を奮い立たせて発表する」ことに全力投球するのだろうか?『もっこす』モンの小生は、鵜呑みが得意ではないので、どっかに何かが引っかかってストーンと落ちてくれなかった。
きれいごとではホンモノの教育は成立しない。
「隠し事のない仲間作り」「嘘の無い学級づくり」等々の学級経営指針をみみにしたり目にした瞬間、この種の美辞麗句(とは言わないまでも)は仮面であると噛みついたものだった。「いじめや仲間外れの無い学級」作りなど「絵に描いた牡丹餅」である。小生ごとき凡庸な教員にはとても口にすることすら恥ずかしい表現だったからである。
大人社会を見てみよう!!隠し事と仲間外れと嘘ばかりで、弱い者への思い遣りの欠片すら見えない大人社会の渦中で、無神経になってしまうほど見続け聞き続けながら子供社会で生きている子どもたちが、どこまでそんなスローガンに心を動かされるのだろうか。
子どもは褒めて育てる。
『もっこす』モンはこう考える。褒めてばかりで子どもが立派な大人に育つわけがない!子どもは(叱咤しながら)(激励をするために)(良いことは)褒めて育てるんだ、と。叱咤も激励も褒めることも、学校教育では「指導する」と総括する。抱きしめられるような温もりを感じる言葉と、冷酷無比に突き放すような言葉が同居しないと「人づくり」は成立しない。と、小生は断言して憚らない。
鵜呑み・丸呑みはいけません。
『?思考』を脳味噌にはめ込んで考えてください。そして、提示した新聞記事(写真版)を読んでみてください。そして、ホントに友達づくりは苦手なままで良いのかな?と『?思考』をしてみてください。新聞記事は熟読に値します。素晴らしい理念構成で表現されているからです。小生は資料としてオリジナル化して保存したほどです。教育関係者のみならず「後継者を育てる」観点から熟考するに十分な資料です。
早朝歩禅の帰路で撮りました。農家の方が田んぼで収穫の済んだ作物殻でも燃やしておられるのでしょうか?長閑な田園風景です。早朝歩禅04:35~05:25【6100歩】
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