~初期対応での「当事者意識」~
学校内に入る物々しい警察の捜査状況をテレビ画面で見ながら心が痛むのは小生だけではあるまい。これからの人生である中学生が自らの命を絶つことに追い込まれたことが哀しくも辛い。「二度と・・・」の願いもむなしく、「また・・・」起きてしまった。正直なアンケート(写真・黄色マーカー部)の回答が、警察の捜査までに至ったのか。そんな責任感が回答者が精神状態に異常を来たすようになったら関係者はどこまで責任が取れるのだろうか。関係者とは学校教育関係者だけを指すものではない。
小生も関係者の一人と自覚して、経験(初期対応)を紹介しておこう。
中学2年生の女子生徒の担任になった初日の対応である。前年度の出席日数は1学期だけだったことも、1学期の終わりごろには殆ど登校していなかったこともわかっていた。教科(英語)担当者としてその学級とは関わっていたので「教師と生徒」の関係は確立していた。新年度の担任になった小生は、「始業式の担任としての挨拶」をしようと家庭訪問をした。
母親に促されて玄関先まで出てきた小生に「担任です」と言われてびっくりしたのか落ち着かない態度になってしまった。許可を得て応接間に入れてもらった。そして、学校に行けなかった苦悩の原因を聞いてみた。蚊の鳴くような声で「いじめられている」現状を話してくれた。詳細はいずれの機会に委ねることとして、結論を述べる。2年生の1年間は病欠の数回を除いて皆勤に近い状態で学級生活を過ごしてくれた。現在二児(中学生と小学生)の母親として頑張っているようである。茅ヶ崎市のある講演会場では講師控室まで足を運んでくれて再会を喜んだ。こんな社会状況を知るにつけ彼女の心も痛む事だろう。昭和の時代にも今回のような病状は存在していた(写真・赤色波線部)。お断りしておくが、決して自慢話ではない。初期対応(写真・緑色マーカー部)での「当事者意識」に格差が生じると「出遅れ」対応となってしまう。今回は、学校教育現場(校長室や職員室)まで警察の捜査が入ったことが何としても辛いし、哀しいし、悔しい。教育に携わる「指導の過程」の情報資料まで押収されてしまうことには遺憾である。今後の指導が心配だからである。
どこの学校でも起こり得るこの種の問題である。
思考力未熟な児童生徒を護るべき大人集団(教員と保護者)の初期対応における当事者意識に問題解決のカギがあることを忘れないで欲しい。
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