2013/05/20

どんなふうにして「自転車乗り」を覚えたんでしょうか、ね?

 数日前から5歳の末孫が「自転車に乗れるようになりたい」の自己願望に挑戦が始まったようです。補助車輪を父親に外して貰って、目の前で懸命の自転車乗りの稽古に励んでいるのです。お父さんとお母さんが懸命に教えていますが、なかなか上手に乗れない様を祖父ちゃんの眼が追っていました。

 そして、こんな本との偶然の出会いです。18日の浜松出向の折りに購入しました。ホンの一部分を以下に紹介します。 


忘却は内助の功

●失敗の経験

 学校が教えてくれないことで覚えることは少なくないが、もっとも目立つのは自転車に乗れるようになることだろう。

 はじめはだれだってまったく乗れない。どうして乗れるようになるのか、教えるものもわかってはいない。ただ、転んだり、倒れたりしているうちに、いつとはなしに乗りこなせるようになる。そういう経験のある大人が“先生”になってこどもに教える。

 こどもにとって、親はやっぱりえらいのだと思うのは、こういう技を教えてもらうときである。そして言われるようにしていれば、かならずうまくいくようになるというのは、学習の原理にふれる啓示のようなものである。たかが自転車乗り、とは言っていられない。文化の伝承なのである。

 水泳なども、親に教わる方がよい。専門家のような指導はできないが、そこがかえって親子の絆を強めるよすがになる。はじめて泳げるようになったときのこどもの顔は美しい。教え、教えられるというのはもっとも親密なコミュニケーションである。親はそれを他人に譲ってはいけない。

 そうは言っても、はじめてこどもに自転車の乗り方を教えるのはりっぱな教育であるから、当然、ノウハウが必要である。自分が乗れるようになったときを思い出しても、役に立たない。役に立たないわけである。肝心なところは、スッポリ忘れていて、いつの問にか乗れるようになっていたからである。

 このスッポリ忘れる、というところに、忘却の出番がある。

 ペダルに足をのせて、体重をかけると、たいてい横転する。もう一度繰り返す。

やはりひっくりかえるけれども、はじめてのときより転び方、がすこしばかりうまくなっている。

 三度目を試みると、さらに転び方が小さく、おだやかになる。子どもの器用さにもよるが、十遍くらい試みていると、ペダルに足を乗せ、それに体重をかけても、すぐ倒れることはなくなる。

 どうして、進歩するのか。頭はうまくいったところだけ記憶して、失敗やうまくいかなかったことは忘れてしまう。     『忘却の整理学』(外山滋比古 著)

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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