そして、こんな本との偶然の出会いです。18日の浜松出向の折りに購入しました。ホンの一部分を以下に紹介します。
忘却は内助の功
●失敗の経験
学校が教えてくれないことで覚えることは少なくないが、もっとも目立つのは自転車に乗れるようになることだろう。
はじめはだれだってまったく乗れない。どうして乗れるようになるのか、教えるものもわかってはいない。ただ、転んだり、倒れたりしているうちに、いつとはなしに乗りこなせるようになる。そういう経験のある大人が“先生”になってこどもに教える。
こどもにとって、親はやっぱりえらいのだと思うのは、こういう技を教えてもらうときである。そして言われるようにしていれば、かならずうまくいくようになるというのは、学習の原理にふれる啓示のようなものである。たかが自転車乗り、とは言っていられない。文化の伝承なのである。
水泳なども、親に教わる方がよい。専門家のような指導はできないが、そこがかえって親子の絆を強めるよすがになる。はじめて泳げるようになったときのこどもの顔は美しい。教え、教えられるというのはもっとも親密なコミュニケーションである。親はそれを他人に譲ってはいけない。
そうは言っても、はじめてこどもに自転車の乗り方を教えるのはりっぱな教育であるから、当然、ノウハウが必要である。自分が乗れるようになったときを思い出しても、役に立たない。役に立たないわけである。肝心なところは、スッポリ忘れていて、いつの問にか乗れるようになっていたからである。
このスッポリ忘れる、というところに、忘却の出番がある。
ペダルに足をのせて、体重をかけると、たいてい横転する。もう一度繰り返す。
やはりひっくりかえるけれども、はじめてのときより転び方、がすこしばかりうまくなっている。
三度目を試みると、さらに転び方が小さく、おだやかになる。子どもの器用さにもよるが、十遍くらい試みていると、ペダルに足を乗せ、それに体重をかけても、すぐ倒れることはなくなる。
どうして、進歩するのか。頭はうまくいったところだけ記憶して、失敗やうまくいかなかったことは忘れてしまう。 『忘却の整理学』(外山滋比古 著)
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