昨日はほぼ終日の日程で「恒例の鍼診療日」でした。
「孫守り」との日程調整で思うような日程が組めない場合もありますが、診療師のお気遣いに甘えつつ1と月2回の診療を確保しています。孫たちが通う小学校の「家庭訪問週間」と重複してしまい頓挫してしまいましたので、久しぶりの老夫婦の診療の旅でした。
車社会の現状でも、更に若者たちの車離れ(=公共交通機関の利用)の情報を得たこともあり社会は常に「変動制」であることを強く意識したばかりです。
JR八王子駅で、中央線の『特快』電車に乗りました。
日によって車内の混雑状況は異なりますが、老夫婦の診療後の時刻では未だ混雑と言う表現が不似合いの状況です。しかし、少し離れた位置に老夫婦の席となりました。ヒンヤリとする車内温度でした。老妻のバッグに入れある上着を受け取りたく未だ動かないのを利用して立ち上がって移動しました。老妻の隣の席に座っておられた若い女性が、スーッと立ち上がり「ここにお掛けください」と、小生のリュックの置いてある席に移動してくれました。
中央線ではこんな厚意に接することが多いのを老夫婦は知っています。席を譲られて、思わずわが身の加齢に烙印を押されたかのようなダメージを受けた体験も数年前ぐらいから違和感として受け止めることも無くなりました(笑)。
立川駅で下車する若い女性に、小生は帽子を取ってお辞儀をしました。笑顔で降車する、わが娘よりお若い女性の行為に昨日も感激しました。
ところが、上野駅発の常磐線が発車した車中で、中央線で戴いた厚意が帳消しになってしまうような光景を目の当たりにして見てしまいました。主役たちは男子高校生でした。最近では珍しくなった愚行です。
常磐線では珍しく車内が混んで来ました。
松戸駅辺りから始まった高校生の愚行は、取手駅までの30分近くの車中での携帯電話での音声交信でした。連れの高校生たちは途中駅・我孫子駅で下車しましたが当人は下車しませんでした。都内の高校生であることは分かっていました。現状の車内では「無言での交信(メールでの送受信)」が主流であり、他人に迷惑を掛けなければ不愉快な感情などには追い込まれなくなっています。
混んでいるので一部始終が手に取るようにわかる行為ではありませんが、不愉快な形相に変わる乗客も多くなったことは確かでした。
突如、男声の一括する言葉が耳に届きました。恐らく隣席から注意があったのでしょうか。正しいモノが正しいとして通用しない世の中の縮図を見た思いでした。大声(とも思えない)のどう喝の瞬間、車内がシ~ンとしまい息を殺すような光景に『現代社会』を垣間見た気持ちでした。注意したオトナを殴り返して大事件になった情報を知らない人はいません。張りつめた車内も乗降客の激しさで次の駅でまた乗客の新陳代謝です。何事も無かったかのように降車して行った高校生を動き出した車窓から確認する乗客のひそひそ話声が耳に届きました。
世代の違いの問題ではありません。「育っていない」格差が証明されました。老輩としての細やかな期待は「負の再生産」が無いことを祈るばかりです。
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