2013/05/04

「独り言」は、聞こえたり聴き取れたりした人は気持ち悪いんでしょうね?

 

 早朝歩禅は、今朝は単独行動になりました。

 勝手なネーミングの好きな小生は、『独り歩禅』と名付けました。日常的には同伴者がいますので、歩禅は対話が弾みます。控えめな性格の老妻はすれ違う散歩人を意識するとピタリと口が閉じます。能天気な老夫は、所構わずに通常の音量で喋りかけます。このアンバランスは絶妙です(笑)。40年以上も寝食を共にしている「夫婦」ならではの日常的行動の延長線上に存在します。

 同伴者のいない『独り歩禅』は、独り言のオンパレードです。

 田圃に水が入って来ています。まだ行き渡っては居ませんが水田の準備が進んでいました。数日後には立派な水田に変わるのでしょうか。そして、田植えが始まり季節の大転換となります。水田に水が入って来ている部分に太陽光が注ぎ始めた早朝5時過ぎの田園風景を見詰めながら、
独り言は続きます(笑)。それは農家の三男坊の少年時代の田植え前の思い出でした。水の入った田圃に水稲の苗を運ぶ役目を仰せつかった三男坊は、「いかにして楽をして運び込むか」を考えていました。苗が置いてある木箱に縄を付けて田圃の中を引っ張り出そうと企みました。
 浮力と抵抗を考えました。次兄はまじめな性格でしたのでノルマの苗を箱に入れて畦道を運びました。三男坊の方が速く運び終えました。誇らしげに報告する三男坊に叔父は苦言を呈しました。これから植え込む田圃に足跡を付けたら田植えが巧く出来ないことの主旨でした。ただ単に任を果たすことと農作業の本質の違いを理解しないままにオトナになってしまいました。

 『独り言』は謝罪一色になります。言い訳にも似た独り言など「煮ても焼いても食えない」モノですが、独りで歩く早朝のコースは最良の機会です。謝罪したい相手はもう誰もこの世に生きていません。それでもスッキリするのですから、「変人」は古希を迎える年齢になっても治っていないことなのでしょう(笑)。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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