もうすぐ「母の日」がやって来るらしい。
この日だけ「母への感謝」を示せば義理が果たせる??そんな行為がいつの間にか慣例化して常識化してしまう勢いである。滅多に目を通さない新聞の折り込み広告の直訴状態に異常性を感じてしまう。
全ての「●●の日」の起源にも興味は無い。
「母の日」なる特定の日を活用しているのは経済市場原理を有効活用すべき関係者(業者)だけであることを、もうそろそろ真剣に考えた方が良いのではないか。
感謝の気持ちを「モノ」に託して伝える?愛情の表現を「コト(=旅行やイベント参加)」に託して意識させる?「子どもの日」に、何もしない親が愛情の無い親として子どもに評価されるとは哀し過ぎる世の中ではないか。
母の日にはカーネーションが売れるそうだ。
起源が常識となりカーネーションを添えないと感謝の気持ちが通じない関係にはホンモノの謝意など無いと判断しても差し支えない。モノにもカネが掛かり、コトを達成するにもカネが必要となる。厳しい社会で生きている親や大人は「虚礼廃止」という時代を生きて来ているのではないか。
親子でモノ・コト・カネの柵に振り回されるのは止めたい。
こんな本が書棚にある。
著名な人たちだけに「母がいる」訳ではない。また、母親が立派だったから素晴らしい子供が生まれたわけでもなければ育ったわけでもない。しかし、「おかあさん、ありがとう」の謝意は男性には想像すらつかない『お産』と言う命がけの行為がわかる年齢になれば、親の事を思い出して語ることぐらいは出来るだろう。そんな日が、いつも「母の日」となるのだと念じたい。
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