2013/05/24

「ぼく達の先生が学校を辞めちゃったよ」の言葉に啞然としてしまった。

 

 孫の言葉に仰天した老妻が「どうして?折角、就職できたのにねぇ~」と、昔流の「勿体ない」意識の質問が老夫に浴びせられた。投げ掛けられた質問に麻痺してしまっているのが老夫である。老夫は10年前に教職を定年退職した身である。その頃から前兆があったことを思い出しながらも、まだ全国の学校訪問で教職とは絶縁はしていない。従って、新採用教員が短期間の勤務で離職している現状は、どこにでも発生していることを承知していたのである。

 余りにも身近過ぎるところで話題が勃発すると、同種であっても動揺する心は異なるようである。孫の学校の、しかも孫の担任の「初任・教員」が2か月足らずの生活にもならない短期間で辞めてしまったという報告を聴けば穏やかではない。当事者の苦悩や哀しさは知る由もないが現状を考えれば居たたまれない。

 我が子(孫の父親)が小学校1年生の学級でも担任が3~4名交替したことがあった。発端は担任女教師の産休だった。代替者が事故に遭った。更に交替した教員が病気になって・・・・、と朧気な記憶を息子も懐かしく語ることがある。今回とは異質の発端である。

 一般社会(企業や会社)でも起きている現象ではないだろうか。

決して1つの業種だけに起きる珍現象ではないと確信している。社会現象として考えれば、『職に就く』というオトナ(=社会人)を証明する意識が欠乏しているのではないだろうか。「働かざる者 喰うべからず」は子ども心にも染み付いている程までに耳に付いていて「働きに出る」意識を自然に創り上げられていた。現代社会の病理現象の幾つかが老脳を掠める。

 せめて、教育業界でのこの現象は避けたい。

なぜならば、「人としての心を育む」職業であるからだ。明後日は運動会の様である。子ども達の弾けるばかりの生命力の躍動に接すれば気持ちの揺り戻しだって起きただろうに・・・。決して順風満帆にして教員界の海原を渡って来た先輩教員ばかりではないことも、勤めていなければ気付かない。周囲の同僚にも衝撃は大きい。子ども達は分かっていないようでも小さな傷を負っている。

老輩教員の心は痛むばかりである。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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