講師稼業(と言えるほどの活動もしていないが)には切っても切れない発端がある。それは講師依頼というキッカケである。初発は電話での依頼が多いが、懇意になっている関係があればメールでの依頼も最近は多くなっている。どの手段でも構わない。依頼の内容と目的が明確であり、且つ小生が対応できそうな業務であればお断りする理由も無い。
6月は年間の中で(学校の2学期制になってから)最も忙しい時期になる。今年も14日間も県外に出講することになっている。こんな老輩に未だに訪問要請があることを慶ぶべきであろうか?自問してみるが結局答えは出てこないまま出講する(笑)。
最近、頓に感じることがある。
依頼(発信)に対して受諾の回答する(返信)。この返信への返信が届くことが実に珍しい。つまり、依頼した講師が請けてくれたことで任務の一つは完了したと勘違いするのであろう。返信に返信をして関係を断たないのはラブレターしかないらしい。つまり人情として断ち切ることが不安な場合としてのみ「返信の返信」が繰り返されるらしい。
当方(請負業)はそうではない。
今回の出講に関しての「担当者交替」のメールが届いた。交替した担当者にしては初めての発信である。問い合わせの事項も添付されていた。講師の小生は、検討して、電車の時刻を調べてその回答を返信した。回答に納得がいけば任務は解放される。最近の交信は発信に返信して終止符が打たれてしまう。しかし、今回は違った。数行の返信文ではあるが、「返信への返信」が届いたのである。老輩の衰え始めている脳にも喝が入った。
忘れてはいけない交信マナーは「挨拶をする」ことではないか!
返信に返信をする深意は心からの「感謝と歓迎」意を伝える挨拶事である。受け取ったサイドだけが分かれば、相手にはそれを伝える必要性を感じないのが現代であるようだ。コミュニケーションの震源地に異変が起きていないか!?便利なコミュニケーションツールとしての機器が、やっぱり機器で終わってしまうのは使用者の人間関係調整能力の欠如としか言えまい!!
以下に稀有な交信状況を添付する。コミュニケーション能力の育成に関わる親や指導者(震源地)には小生の真意を汲み取っていただきたい。震源地からの揺さぶりが多方面にその波動が及ぶのである。省かれそうなこの指導論・育成論の基礎・基本を蘇らせたいモノである。
① ≪発信(依頼)≫
角田明先生 (前略)・・・・昨年度に引き続いてのご来訪誠にありがとうございます。今回先生とのご連絡・送迎等を担当させていただきます。よろしくお願いいたします。一点 お知らせください。6/12ご到着の日ですがご利用の新幹線が決まりましたら名古屋駅到着時刻をご連絡ください。前回教頭が迎えに行った際の待合へ参ります。以下に大まかな日程をお示します。ご不明な点等ありましたらご連絡いただけますと助かります。(後略)・・・・・・5/29(水)10:17
② ≪返信(回答)≫ 5/29 10:49 (名古屋駅到着予定時刻の回答)
③ ≪返信(挨拶)≫
角田明先生 早速のご返事ありがとうございました。新幹線到着時刻承知いたしました。6月12日にお会いできるのを楽しみにしております。
(●●中学校 ▽▽▲▲) 5/29 13:22
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