2012/12/04

笹子トンネル上り線、復旧のメド立たず

 ~「メンテナンスの重要性」を考える
123()2229分配信  トンネル崩落事故から一夜明けた3日、トンネル内で天井板などの下敷きとなった車両3台は搬出され、救助活動は終了した。今後は、がれき撤去作業を本格化させる
このネット記事に視線をやりながら考える老脳はいつもの通りワンパターンの思考の世界に没してしまう。教育界一筋(=しか知らない)の小生には、一般社会での事件や事故の情報に出くわしても常に希求するのは、「学校教育で考えれば・・・」の視点からである。

今回の中央高速道路のトンネル崩落事故の報道に接して、建設工事の「やりっ放し」のツケが9人の尊い人命を奪ってしまったと考えてしまったのは性急な結論だろうか。情報に因れば30年以上もの間、「長距離のトンネル」へのメンテナンスは考慮されていないと推察される。異業種なのでこれ以上の追究することは小生には不可能であるので、自らが携わった業界に置き換えて考えてみることにしよう。

当然ながら異業種の話題を無理に転換するのでそぐわないことも多いと考えられる。このことは十分にご理解願いたい。

どこかの誰かの実践に目を奪われて新しい試みで教育実践に挑むことがある。つまり「隣の庭に咲く花はきれいに見える」心情に駆り立てられる実践である。垣間見た指導技術と高い評価を受けている授業実践が、その指導者のきめ細かなデザインに基づくモノであることを知ることもない「偽装実践」者が陥るのがメンテナンスの欠如ではないだろうか?

やりっ放し!やらせっ放し!!

日記(=毎日欠かさず記す)を書くことで「書く力」がつくことを、偽装実践者であっても十分承知しての指導である。ところが思うように成果が出ないとわかる(=本質がわかっていない)と中断してしまう。成果や結果は、偽装実践教室から卒業しても「日記を書く」作業が続いて初めて本人がじんわりと気が付いた時にじっかんするのであることもわかっていない。「書かせっ放し」では学習者も持続力は増さない。一流の授業実践者は「課題へのメンテナンス」を施しているのである。課した作業の本質とその目的に根ざしたメンテナンスは学習者への指導者の愛情ではないだろうか。毎日課している作業であれば、課した指導者も毎日何がしかのメンテナンスは必要であると確信しているのである。

設計図通りに建設工事が完了して、30年以上もの間、事故も無ければメンテナンスへの配慮も忘れるだろう。「忘れた頃にやって来る」のは何だろうか。自然界の変化は専門家でも読み切れない昨今の異常気象である。異常気象現象は学校教育界にも、30年前にはなかった「理不尽な言動で学校に不満をぶつけて来る親」の現象として表出しているではないか。この親集団は30年前の学習者ではないか。メンテナンスを忘れた学校教育のツケは確実に「負の成長」を遂げている(苦笑)。

今回のトンネル崩壊事故はたんなるメンテナンス不足とだけでは説明できない。自然界の異常がトンネルの上にある山や丘の上にも及んでいることへの配慮が無さすぎるとしか言い様が無い。

自然界の異常は人間界の生活にも異常を来たす。学校教育界も、人間としての「根の養い」が本質であることに気付かないと今の学習者の30年後を救うことができない。「やりっ放しの教育」と暴言されることの無い授業実践に目を向けて欲しいのである。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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