18歳になった春。
高校を卒業して故郷を離れる青年の両手を持って「達者で頑張らんといかんぞ」と声を掛けてくれた叔父。その訃報が届いた。父の顔も写真でしか知らない甥っ子の旅立ちに、誰にもわからないようにポケットに「餞別」と書かれた封筒を突っ込んでくれた叔父が逝ってしまった。
中学生になっても本当の叔父だと信じ切っていた。高校を卒業したら上京するという小生に、ある時、母が事実を教えてくれた。実家の直近に叔父の家はあった。従弟妹が二人いて幼友達だった。「いとこ」ではないことも衝撃として知った。
祖母の妹さんが妊娠したが結婚が出来ない事情で産んだ、のだと聞いた。つまり、父親と従兄弟関係になることを知った。祖母が引き取って末息子として戸籍に入れたのだと「オトナの情報」も受け止めてから上京した。小生も兄姉も「叔父ちゃん」として慕って成長したことは確かな事実である。
戦死した父の事をアニキと言って明るく楽しくアニキとの思い出話をしてくれた。歌も上手で、当時の青年団の舞踊でも活躍していた姿が浮かんできた。得意は「田端義男」という歌手の歌とその踊りだった。大利根月夜唄(?)の、「♪♪あれをごらんと指さす方に・・・・・♪♪」の節回しの歌いぶりが浮かんできた。
ラジオ深夜便の午前3時からの1時間は「歌番組」である。
叔父(と今でも心底から慕っている)の訃報を昨日受けたばかりの今朝、3時台に流れる「日本の歌」が、何と田端義男特集の放送ではないか。この時間は、目は覚めているが未だ布団の中に居て暖房が出来るまで寝ながら聞いているのが毎日である。そこに叔父を彷彿とさせるようなメロディーが次から次へと流される。涙が枕を濡らす。一緒に冥福を祈ろう、と言わんばかりの放送であり、有難い。叔父がそっと持たせてくれた「御餞別」を思い出すと涙までが温かい。こぼれる涙を止めることが出来ないので布団の上に座り込んでしまった。
あ~、また「一つの時代」が消えてしまった。
数年前に帰郷した折には、もう叔父は自宅には居なかった。老人ホームに入所していると聞いて面会もせずに戻って来たことを悔いる。そんな朝である。所詮、『別れ』とはこんなモンか!叔父の冥福を祈りつつ今日の行動開始である。
今日は、今年の「仕事納め」の出講である。そろそろ準備でもしましょうか。
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