12月6日の内容に 【続き】
どれほどの学校で、この「研究会」と称する(学校により名称は不定)時間を共にしただろうか。退職してこの業務(?)に就いた小生にとっては、現職時代への「恩返しの真似事」の自意識で務めて始めたような気がする。もう9年間が、しかも惰性のままに過ぎようとしている。
生温かった!
それは、ある種のジレンマにも似た未成就感であった。数年来同一校の訪問を続けて指導助言を与えながらも、自らの学校実践とは程遠い路線を歩いている状況を再発見して愕然とする。この業務を始めて来年は10年目を迎える。最近の脳裏には「成果が表出しない」責任は自らの指導力の限界、と自認する言動も浮上し始めている。
節目を理由に、稼業に見切りをつけて「足を洗う」心境にまで達している。
今回の高知訪問の前にはそんな思いがひとしきり強かった。それは、今回の訪問小学校の研究部主任からの情報が前回訪問のお礼メールを着信して以来全く届いていなかったからであった。学校の現状を知らずして数か月ぶりに訪問する「継続訪問指導」は拷問の中に突っ込んでいく心情だったのである。「主任にも苦労をお掛けしている」のでは?校内現状を推察すると、身体は空を飛んで高知入りするのに心内には不整脈の鼓動が音高く響いて足取りも鈍くさせてしまっていた。
ホテルに荷物を預けて、訪問校までの行程を『歩禅』に充てることに決めた。路面電車の通過を横目にしながら一心不乱に歩いた(5000歩)。全身がポカポカして来ると老脳にも血液が巡るようになる。歩きながら考える。これが我が歩禅人生である。くよくよしても打破は出来ない!!歩数を重ねている間に、生来の能天気精神が蘇り玄関に立った時は「受けて立つ」心境にまで達していた。
研究会は前回の指導を忠実に護るべくデザインされて始められた。
付箋紙に記入した観察記録が模造紙に貼られ、司会者の進行で最初の記録者の観察状況の報告となった。3人の教員が観察者の代表だった。2人目の発表を講師席で聞きながら、いつの間にか立ち上がっている自らがあった。想定以上の取り組み方に感動したからである。「このままでは全国の二の舞に・・」と危機感に脅かされて立ち上がったとしか言い様がない。筋書きのないドラマが始まった(笑)。
そして、助言指導を始めた。
当ブログでは研究会の詳細に触れることはできないが、教員集団の「喰い付くような」視線と、指導助言に対する「確認を兼ねた発言」も飛び出して講師冥利の昂ぶりも頂点に達した。「とっくに説明すべきだったのでは?」、との後悔も無きにしも非ずではあった「今回で良かった」と結論を出した。『機が熟していた』ことを自らに言い聞かせて、満足感を飛行機に載せて帰宅した。
そして、今朝。
届いた主任教諭からのメールで研究会終了後の情報を得ることが出来た。次回の訪問が楽しみになった。より質の高い指導助言の準備をしなければならない、と意気込む爺本人が苦笑している朝である。
達者でいる内は、愛しい全国の後輩教員諸兄に『元気の出るエール』が贈れるように自己研鑽を深めることにするか!!との結論が出て爽快な気分になれた。高知の先生たち、ありがとう。
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