テストを受ける。
テストの前には受験勉強という下準備に熱が入る。それは「結果によって」次のステージが変わるからである。自らに都合が良いように結果がでることを期待して「頑張る」のが受験勉強である。前政府は受験勉強に集中できなかったのかな?だから選挙という「テスト」に良い結果を出せなかったようだ。
人生は常にテストを受けるが如し。
試されて評価されるのが結果である。それを人生だと言うならば、人生は結果の連鎖であると言っても過言ではない。異論を唱える気持ちは無いが表出した『結果』だけの断面で判断するだけの評価には合点がいかない。
学校教育では評価の中に「プロセス」を重視する傾向が強い。これは捨て難い。しかし、プロセスを評価しても喜べない現状がある。どれだけ努力(=プロセス)しても結果が伴わないと人生の選択コースを読み誤ることに直結すると考えるからだろう。外見や表面上だけで評価されることが多いと臆病にもなってしまうのかも知れない。これを「世渡り下手」と言うらしい。
昨日の選挙の結果を世論はどう分析してどのように評価するのだろうか。
小生の評価は、ある政党への強烈な期待と支持があったと思えないと分析した。3年3か月の落ち着かない党内の不安定さに辟易したのではないか。良かろうが悪かろうが、それ以前の方が落ち着いていた。そして「元に戻れば世に過ぎなし」の古い諺に準拠したのではないかと判断した。内部の不和は「出来ることも出来ない」症状に至る。震災の後始末にボランティアでは先は見えない。政府を担う政党が一致団結して取り組んでくれたら昨日のあれほどの『結果』は出なかったと思うからである。プロセスが見えないのも不安な材料であったことは否めない。政治という業務は「成果を求めて取り組む姿」を納税者にわからせるのもプロセスであることを忘れてはいけない。わからない状態では納税者は落ち着かない
元の鞘に戻って安堵する政党ではあるまい。3年3か月間は、「前政府」とは異次元で「元政府」も国民の「テストを受けていた」と再認識すべきであろう。3年3か月の受験勉強を十分に活かして、ステージの違った「テスト受験」に取り組んでほしい。急がないと国の内外が危機に瀕している。
戦後68年間の教育のツケが国情を創ってしまったことを真剣に考えて、我が国らしさを取り戻せる「教育改革」にも期待したいのであるが・・・・。
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