2012/03/03

「離れの玄関」にも来客

~ご近所にも認知された?~
 ちっちゃな玄関。
 母屋に玄関があるので不要と思っていたが、建築途中で専門家から「あった方が良いんじゃないですかね」とのアドバイスを思い出した。それは、宅配業者以外には足を運ぶことの無い「離れの玄関先」のこと。そこに、初めて、ご近所の奥様(明らかに小生夫婦より先輩である?)が立たれたのである。離れの住人にとっては記念すべき日となった。つまり、ご近所にも認知された(ちっちゃな)玄関となったわけである。
 畑で作られたというヤーコンを戴いた。茅ヶ崎に住んでいた頃、厚木市にいる妻の従姉から良く戴いたので名称も実物も承知していた。一通りのお礼を玄関先で述べていると妻が相手を代わってくれた。
 孫たちのお友達も「離れ」に通すことは小生が禁止している。離れは遊び場として利用させたくないからである。爺婆だけの我儘な「憩い」の場として堅持したいからなのである。「老いの一徹」から発生した哲学である。のべつ幕無しの仕様に合う設計にしていないからでもある。しかし、いずれは、「老輩同士の団欒」としての活用は考えたいとは夢を見ていたので、今日の玄関先への訪問客はその「春告げ鳥」的な来客だと言えそうだ。
 小さな空間しかない「離れ」なのに、老夫婦が持ち込んだ『ガラクタ』(と、長男が命名)で足の踏み場ない。孫軍団も足を踏み込めないのが、正直なお話でもある。しかし、その別空間も住民らしい使い方が出来れば幸せである。思いがけない来客だったので、「お茶でもどうぞ」の一言も発することが出来なかったことが反省でもある。そんな「ひなまつり」前日のちっちゃな出来事であったが、いつかは、縁側でご近所のご同輩と「御茶飲み」が出来るのが細やかな夢である。実現しましたら当ブログでご紹介しましょうかね。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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