~部屋の使い勝手も変わる?~
震災直後(1か月後)の転居。ご丁寧にも(笑)、4月11日の移動(転居のための)日も出発直前(茅ヶ崎市)に大きな揺れに見舞われた。移動中の茨城県との県境に当たる柏市(千葉県)で東北自動車道が通行止めになってしまった。夜の帳が降りると暗闇になる。恐怖心も募る。暫く市内を旋回しながら(笑)、カーナビの通行解禁の文字を待った。向かう先に住む長男宅でも夕暮れの強震には身の危険を感じたようだ。と同時に茅ヶ崎から両親が車で向かっていることへの心配で、車中の携帯への電話が鳴りっぱなし状態であった。
そんな懐古心で今日の「部屋の模様替え」が妻から急な提案がされたのか。
起床と同時に、引っ越し荷物を運びこんだままの状態にある「7畳・物置」の模様替えが始まった。家具にはそれぞれ目一杯の荷物が押し込んだままの状態で満載である。家具のドアを開いただけでウンザリもする状況だったが、流石に住民の一人としての意識にも「そろそろ自分らしい」生活を再現したくなっていたようだった。妻の要望と夫の期待を重ね合わせながら「老力」で懸命に働いた。
約4時間の休憩なしの労働。 見違えるほどの採光が片付いた空間を浮かび上がらせてくれた。疲れも吹っ飛んで更に老体が異常な程に動き回り、妻の要望が満願になったようだ(笑)。1年間近く生活すると、その生活の場にも狭いなりの「使い勝手」が求められていることがわかった。午後3時過ぎには小学1年生の孫も帰宅した。細かくは気づかないようだが爺婆の雰囲気からわかるような言動もあり、充足感に浸りながら勝手に労をねぎらう自分に苦笑もしてみたが満足できた一日だった(激)。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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