~ブックオフというお店~
転居先の「離れ」には、物置になるように7畳間の部屋を作った。書棚もそこに取り付けてもらった。茅ヶ崎の書斎から運び込んだ本が段ボールに入ったままに間もなく1周年を迎える。絵本も沢山ある。孫たちは茅ヶ崎で読んでいたのでその存在を知っている。しかし、足の踏み場の無い状況では絵本を取り出すことも不可能である。そんな状況に満足している訳ではない。きっかけと「片付け意欲」のタイミングが合わなかっただけである。
やっぱり孫力には負ける。
「いつになったらお部屋から本が出せるの?」とせがまれてしまった祖父ちゃんは、「やるっきゃない!!」との意欲を鼓舞したのである。愛着のある本も「処分する」方向性に気持ちも固まったので早朝から(物置)部屋に入り込んだ。結構な数の本が処分対象に選ばれ(笑)、下請け業者の老妻によって「紐付き荷物」に梱包され運び出された。狭い「離れ」では運び込まれた部屋が大迷惑となってしまった。
「明け番」で休日となっている長男が、「ブックオフに運んでやるぞ」と自分の車にどんどん運び込んでしまった。市営ごみ収集所に持ち込もうとしていた「持ち主」の意向は無視されてブックオフとやらのお店に同伴させられた。
この種のお店には高齢者にとっては入り辛い。入ったことも無い。たまたま4歳の孫は咳が気になると言うので今日は保育園を休んでいたので連れて移動した。ブックオフには入店したことがあるらしく嬉しそうに店内を歩き回っている。その姿には違和感もない。手を引いている祖父ちゃんだけが何だか落ち着かない。店内のレイアウトと「本屋さん」のイメージが合わないのが落ち着かない要因だった。古い本を「買い取る」方式であることぐらいは知っていたが、「空想と現実」には格差が大き過ぎた。使い古し、埃もついているような書物を持ち込んだら迷惑を掛けると思い込んでいる祖父ちゃんの思考回路は、もう完璧なまでに打ちのめされてしまった。買い取り額を受け取った長男は、「凄いなぁ~」と驚いたようだ。ブックオフに出すほどの本の数も無いから「持ち込んで現金化したことが無い」という長男が何度も、「また、持ち込んでやるよ」と誘いかける。
ブックオフという類のお店への「偏見」(笑)もそろそろ消える時期になったのだろうか。しかし、初めての経験と言うのはそれ相応にふさわしい年齢があるようだと思いつつ帰宅したが、店員さんを含め好感が持てたフックオフのお店には悪い感じは全くなかった。。
今度は、自分の車で本を持ち込んでみようかな?(笑)。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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