2012/03/08

「ケセン語」って!?

~耳慣れない『語(ことば)』~
 それは7日の真夜中(午前1時)の出来事。
こんな事態に時々遭遇することがある。枕元に常駐(稼働)させている(笑)ラジオが発する音に睡魔が妨害されることがある。それが今回である。「ラジオ深夜便」(=NHKラジオ第一のプログラム)から流れてくる情報源が今回も顕在していた。トイレに起きて布団に潜り込んだ耳に、震災地で医院を経営するらしい人物の話声が流れていた。何故か妙に耳に着いた。眠気がいつもその声を凌駕するはずであるが、今回もまた負けてしまった。
  声の主はカトリック信者の医師で震災地の大船渡市に在住だとわかる。
 津波の後の医院の立て直しのご夫婦のご苦労話に傾聴してしまった。しかし、完全に睡魔を負い払ってしまったのはインタビュアーとの次の問答であった。
 Q:イエスの教えに「汝の敵を愛せよ」とあるが、どのように捉えているのか。
 A:敵を愛することは出来るモノでない。
 氏の答えが深部に入ると、すっかり老脳も生き返ってしまった(笑)。『愛する』という額面上の捉え方が画一過ぎると断言された。「愛する」という言葉は氏には親近感が無いそうだ。「好きである」で良いんじゃないのかな?「好きである」ならば、その相手を大事にしたいと思うはずだから、とも。「愛する」と言う意味を「大事にする」と置き換えたら、『敵に塩を送った』武勇伝もすんなり理解できるでしょ!?
誰が翻訳したかわからない言語に振り回されれば『語(ことば)』の本質がわからないままに使用してしまう、これはとても危険であるとの「語学」論になった。そこで、理解されないまま放置され、軽蔑と侮蔑に慣れっこになっている「東北弁」の哀しい思い出が危機状態であると気づいたとの言及に至った。親しんだ東北弁を駆使する氏としては、何とかこの地方(気仙沼・大船渡などの周辺)で喋られる「ケセン語」で、キリストの教えを普及したいと考えられたのだそうだ。説得力のある語学論に氏の郷土を「愛する」気持ちが乗り移っていることハタと気が付いた。つまり郷土を愛する氏は強度を「大事にする」という減点に立ったことが理解できた、
 話の下り坂は猛スピードだった。
言葉にすっかり酔いながら満腹状態になった老脳は再び睡魔に襲われ熟睡させてもらった。目が覚めたのは5時。いつもより1時間遅い目覚めの理由は途中の1時間の「目覚め」があったからである。
起床すると記憶を辿りながら直ぐにこの医師を調べた。わかった!!「気仙語」(=けせんご)ではわからなかったが『ケセン語』で踏査できた。医師を紹介するページが山ほど目に飛び込んできて、起床後にも大きな衝撃を受けた。立派な人生を歩む日本人にここでも会えた。至福の時間となった。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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