~季節感のズレが顕在~
京都に住んでいる知人から写メールが届いた。
小生の思い出の場所の写真である。正面からの撮影なので確かな風景としての記憶との整合性が無いが、確かに北野天満宮の写真である。嬉しく拝見しながら、氏のメモ書きに注目した。西の京都でも、3月にもなって「未だ6分咲き」との情報である。近くに東北でも有名な「水戸の梅まつり」もあり、世は「ひと時の寒梅期」である。
2月19日に水戸で仕事があって出かけた。梅祭りが始まったばかりだった。車窓に映る千波湖の風情が違うことに気付いた。寒梅客の臨時駐車場に車が多く駐車されていたからであろう。仕事場になっている県立青少年会館は偕楽園の裏手の位置に当たるらしい。帰りのバスを待っていると、前に並んでいる観光客の集団から聞こえてきたのは「来るのがちょっと早過ぎたね」だった。開花がいつもより遅れている情報として受け取った。その日からもう2週間が経っている。そこに、水戸よりも早咲きになると思われる京都の地でも梅の開花が遅れているという情報を得て考えれば、「季節感と開花」にズレが生じていることが判明する。
北野天満宮の思い出?
生来、「梅の花」が桜の花より好きな小生である。つい先だっても亀戸天神の境内を訪問したのも寒梅を当て込んでのモノだった。湯島天神にも行ってみたいと思っている程に「梅の名所」には足を運んでいる。
京都の北野天満宮には中学校教員時代に、学業の神様に「合格祈願」をしたくて団体行動から外れて(当然、許可済み)出向いて受験生を担任する教員として全体の『お守り』をいただきに行ったのである。
苦しい時の神頼みの効果は定かではないが、受験生には記憶に残っているようだ。その時は寒梅の雰囲気はゼロだった(笑)。
一枚の写真で25年前の記憶が戻った。そして、この間に季節感と自然界の胎動に大きなズレが始まっていることにも気づかされた。貴重な写真を有難うございました。 ~季節感のズレは顕在~
京都に住んでいる知人から写メールが届いた。
小生の思い出の場所の写真である。正面からの撮影なので確かな風景としての記憶との整合性が無いが、確かに北野天満宮の写真である。嬉しく拝見しながら、氏のメモ書きに注目した。西の京都でも、3月にもなって「未だ6分咲き」との情報である。近くに東北でも有名な「水戸の梅まつり」もあり、世は「ひと時の寒梅期」である。
2月19日に水戸で仕事があって出かけた。梅祭りが始まったばかりだった。車窓に映る千波湖の風情が違うことに気付いた。寒梅客の臨時駐車場に車が多く駐車されていたからであろう。仕事場になっている県立青少年会館は偕楽園の裏手の位置に当たるらしい。帰りのバスを待っていると、前に並んでいる観光客の集団から聞こえてきたのは「来るのがちょっと早過ぎたね」だった。開花がいつもより遅れている情報として受け取った。その日からもう2週間が経っている。そこに、水戸よりも早咲きになると思われる京都の地でも梅の開花が遅れているという情報を得て考えれば、「季節感と開花」にズレが生じていることが判明する。
北野天満宮の思い出?
生来、「梅の花」が桜の花より好きな小生である。つい先だっても亀戸天神の境内を訪問したのも寒梅を当て込んでのモノだった。湯島天神にも行ってみたいと思っている程に「梅の名所」には足を運んでいる。
京都の北野天満宮には中学校教員時代に、学業の神様に「合格祈願」をしたくて団体行動から外れて(当然、許可済み)出向いて受験生を担任する教員として全体の『お守り』をいただきに行ったのである。
苦しい時の神頼みの効果は定かではないが、受験生には記憶に残っているようだ。その時は寒梅の雰囲気はゼロだった(笑)。
一枚の写真で25年前の記憶が戻った。そして、この間に季節感と自然界の胎動に大きなズレが始まっていることにも気づかされた。貴重な写真を有難うございました。
京都に住んでいる知人から写メールが届いた。
小生の思い出の場所の写真である。正面からの撮影なので確かな風景としての記憶との整合性が無いが、確かに北野天満宮の写真である。嬉しく拝見しながら、氏のメモ書きに注目した。西の京都でも、3月にもなって「未だ6分咲き」との情報である。近くに東北でも有名な「水戸の梅まつり」もあり、世は「ひと時の寒梅期」である。
2月19日に水戸で仕事があって出かけた。梅祭りが始まったばかりだった。車窓に映る千波湖の風情が違うことに気付いた。寒梅客の臨時駐車場に車が多く駐車されていたからであろう。仕事場になっている県立青少年会館は偕楽園の裏手の位置に当たるらしい。帰りのバスを待っていると、前に並んでいる観光客の集団から聞こえてきたのは「来るのがちょっと早過ぎたね」だった。開花がいつもより遅れている情報として受け取った。その日からもう2週間が経っている。そこに、水戸よりも早咲きになると思われる京都の地でも梅の開花が遅れているという情報を得て考えれば、「季節感と開花」にズレが生じていることが判明する。
北野天満宮の思い出?
生来、「梅の花」が桜の花より好きな小生である。つい先だっても亀戸天神の境内を訪問したのも寒梅を当て込んでのモノだった。湯島天神にも行ってみたいと思っている程に「梅の名所」には足を運んでいる。
京都の北野天満宮には中学校教員時代に、学業の神様に「合格祈願」をしたくて団体行動から外れて(当然、許可済み)出向いて受験生を担任する教員として全体の『お守り』をいただきに行ったのである。
苦しい時の神頼みの効果は定かではないが、受験生には記憶に残っているようだ。その時は寒梅の雰囲気はゼロだった(笑)。
一枚の写真で25年前の記憶が戻った。そして、この間に季節感と自然界の胎動に大きなズレが始まっていることにも気づかされた。貴重な写真を有難うございました。 ~季節感のズレは顕在~
京都に住んでいる知人から写メールが届いた。
小生の思い出の場所の写真である。正面からの撮影なので確かな風景としての記憶との整合性が無いが、確かに北野天満宮の写真である。嬉しく拝見しながら、氏のメモ書きに注目した。西の京都でも、3月にもなって「未だ6分咲き」との情報である。近くに東北でも有名な「水戸の梅まつり」もあり、世は「ひと時の寒梅期」である。
2月19日に水戸で仕事があって出かけた。梅祭りが始まったばかりだった。車窓に映る千波湖の風情が違うことに気付いた。寒梅客の臨時駐車場に車が多く駐車されていたからであろう。仕事場になっている県立青少年会館は偕楽園の裏手の位置に当たるらしい。帰りのバスを待っていると、前に並んでいる観光客の集団から聞こえてきたのは「来るのがちょっと早過ぎたね」だった。開花がいつもより遅れている情報として受け取った。その日からもう2週間が経っている。そこに、水戸よりも早咲きになると思われる京都の地でも梅の開花が遅れているという情報を得て考えれば、「季節感と開花」にズレが生じていることが判明する。
北野天満宮の思い出?
生来、「梅の花」が桜の花より好きな小生である。つい先だっても亀戸天神の境内を訪問したのも寒梅を当て込んでのモノだった。湯島天神にも行ってみたいと思っている程に「梅の名所」には足を運んでいる。
京都の北野天満宮には中学校教員時代に、学業の神様に「合格祈願」をしたくて団体行動から外れて(当然、許可済み)出向いて受験生を担任する教員として全体の『お守り』をいただきに行ったのである。
苦しい時の神頼みの効果は定かではないが、受験生には記憶に残っているようだ。その時は寒梅の雰囲気はゼロだった(笑)。
一枚の写真で25年前の記憶が戻った。そして、この間に季節感と自然界の胎動に大きなズレが始まっていることにも気づかされた。貴重な写真を有難うございました。
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