2012/03/26

国家意識と「教育」問題

 ~経済至上主義のツケを子ども世代に残すのか?~
 今日のブログは少々重たくなりそうで恐縮です。
 小生のような凡庸な人生を送って来た人間には、最近ホンの少しずつ我が国の歩んできた行程が「間違っていたのでは?」と考えるようになっているのですが読者の皆さんはとっくにお感じになっていますよね。能天気な性分ですので、「明日は明日の風が吹く」主義で短い人生を過ごしてしまいました。大学紛争の火種が飛び火する直前に大学を卒業しています。学園紛争に夢中になっている学友に羨望の思いを寄せつつも仕送りの無い貧乏学生は、時として戦争で親父を取られ恨みも悲哀として感じるままに社会人になってしまいました。
 あの日々から40年以上もの歳月が流れました。
 昨年の4月に当地に転居して2人の小学生の孫たちと同居しました。祖父として授業参観にも足を運んでいます。大きな校舎と校地に集う児童数の少ない現場を凝視して初めて「少子化」の現実を体感したのですから経歴など語れそうにありません。教員として「少子化」問題は十分に意識していました。その観点から、21世紀の学校づくりに関しては私案(試案)も提供して来ました。学校教育論として「学校ふるさと論」なる章も書いて書物の数ページを潰しました。
 昨日の新聞記事(写真版)に目を投じながら老体が凍結しそうになりました。
嫁が保育園児の三人目の孫を抱きながら発した言葉も未だ実感としての受け入れていなかったようです。「この子が通う頃には学校の統廃合があって、お兄ちゃんたちが通ったこの小学校には通えないそうです」との嫁の発言が、新聞記事から真実味として能天気爺さんの思考回路に現実的な刺激として襲い掛かりました。
 孫世代、と言うのは息子・娘たちが現役の「親」として奮闘する時代です。そんな時代に「我が国の文教の歴史」が、方向性に誤差が生じて、ひび割れも始まっている現実を認知することになったのです。
 大学を卒業する。
 このキャッチフレーズは、我らの世代では「幸福の守り神」的な存在感であり、不動の神話でありました。現実に小生は大学を卒業して教員になりその道一筋で還暦を迎え、年金受給(若干の遅配はあったが)者としての「毎日サンデー」を享受視させていただいています。しかし、次の世代は?次の次の世代は?目の前で溺愛する(笑)孫たちの時代は「国家の体制」はどうなるのだろうか。
 「教育国家より経済大国」を至上命令のようにして建国してきた国家意識育成の過ちをそろそろ国民的意識として考えなければいけないのではないでしょうか?「教育する」期間と機関への関心と、その必要性を考えると、学校(教育機関・期間)に携わった関係者として、「微々たる動きでも始めなくてはならない」、と祖父心が動揺している朝なのです。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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