~暑さ寒さも「彼岸」まで~
温暖な湘南(=神奈川県)と言われている意味がわかる。
時折訪れる第二の故郷・茅ヶ崎が、駅に降りたホームの温度から違うことを確証できる。帰路も、東京を通過して千葉県の幾つかの都市を越え江戸川~利根川を渡る度に車窓からではわからない「日射と気温」の較差を感じる。
我がミニ老人ホーム(=自称)の窓から見える栗林に降り注ぐ日の光に春を感じて小躍りするように外出する。「歩く」ことを目的にして勇んで出発して何度ひどい目に遭遇したか?外観と地温のギャップに加えて北関東独特の「冷たい風」に体感までが怖気づいて仕舞うから始末悪い。
妻は膝痛を、夫は激しい咳に見舞われて信じられない状況に陥った。
しかし、「春のお彼岸」がやって来た頃から、防寒対策を甘くせずに歩禅を復活させることにした。それは、午前8時過ぎから1時間である。末の孫息子と嫁が保育園経由で勤務先に出向いた時間の後である。陽射しもあり気温の低さも緩和され、花粉の飛散度も少ないとの合わせ情報を考慮しての特設である。温暖地(茅ヶ崎)では「早朝歩禅」と称して6時前には家を飛び出たモノだった。逸る気持ちを押えながら老妻の体調に配慮しつつ「朝・歩禅」として始めて1週間になる。
歩数計が10000は超えることは無いが、1時間ばかりの外出はやっぱり爽快である。雨模様が続くと出鼻を挫かれた気分で終日不調な気分となる。今朝は冬に逆戻りと言うラジオ情報である。これは貴重な情報であるので軽視はできない。
そんな試行錯誤を繰り返しながら転居先の自然界と仲良くしようと努めている。せめて老体への労わりだけは大事にしたいからである。あと1週間もすると4月。街路樹になっている桜の木々も「春を告げる」花を咲かせて、老夫妻の「朝・歩禅」を歓迎してくれるであろう。期待しながら寒さを凌ぐことにしましょう。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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