2012/03/28

『年度替わり』という文化

~ラジオ番組も替わる~
 4月からわが国では新年度が始まる。
 自らの生活リズム(実感)で生きていた日々から遠ざかっても日本人としての生活様式には動揺はない。文化を構成する様々な要素が時代と共に変動していても「4月・新年度」のスタートは変わらないようだ。変わった方が良いと考えている訳ではない。寧ろ好意的であると発しておいても差し支えあるまい。
 東京大学が9月入学を採りあげたのは諸外国からの優秀な学生の留学生を受け入れる体制に不利があるとの理由も一つとして挙げている。そうだろうか?海外からの優秀な留学生を育てることが東京大学の使命なのだろうか、と訝しい気分になってしまう。使命感のズレの方が問題のように思える。
 年度末に来て、お気に入りだった(笑)ラジオ番組が19日消えた。
 センチメンタリズムでの郷愁ではない。また新番組に傾倒するであろう、ことぐらいを想定するのは容易であるからだ。しかし、こんな耳環境にも年度替えが波及していることである。
 従姉の孫子息が高校生になるとの一報が届いた。これも新年度の喜びである。新しい夢に向かって飛び出す若者の将来が明るいモノであって欲しいと願うばかりである。心ばかりの「ご祝儀」を送って祝福した。名古屋に住む友人からは、「長年の勤務生活を終えた」とのメールを受信している。これも年度替えの文化である。一抹の寂しさと同時にちっちゃなゴールテープを切った満足感も伝わってくる。ご苦労様でした、と返信を送った。ふと考えてみれば、名古屋の友人の心境になったのはもう8年も前の事である。
 茨城県内の「人事異動」欄を新聞発表に目を投じ、「ここは神奈川県ではない」と我に言い聞かせながら転居を実感している朝である。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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