2012/03/14

全力疾走にて完全ゴールイン

~お疲れ様でした!~
 
 四国の中学校長から携帯電話でメールが届いた。

(略)11日が最後の卒業式でした。校長11回目。過去最高感動。証書一人一人授与。答辞が決めてでした。式辞カスミました。全てに感謝。少し気が緩みそうです。是非、今後とも引き続きご指導をお願い致します。

彼は小生が日本公文教育研究会の顧問をお引き受けした直後に会社役員より紹介された公立中学校の校長である。校長職として11年間の勤務とは、今更の如く激務の中を健康で成就できた彼の心身ともに「健康を管理する」術に圧倒される。小生など彼の半分の期間も勤めていないのだから。
生徒代表の「答辞」に感動し感涙で手元に準備した「式辞」に目が霞んでしまった。彼の性格を知る身としては十分にその光景が見えてくる。四国や岡山で仕事をする場合は必ず学校訪問をした。会いたくなるほど興味ある後輩教員であったからである。ブログでは詳細が語れないが、荒廃もどん底状態の中学校に校長として着任して以来、「生徒を褒める」教育活動を前面に出しながら、結果的には県内でも知らない人はいない程の「文武両道」に亘る優秀校にまで引き上げたのだから感慨も一入だっただろうと想像も易い。
 小生は返信のメールにこう書いた。

 フリーの私の身を貴君の学校の体育館に置きたかった。そして、貴君と一緒に感動の時間を共有したかった。ともあれ、少しはゆっくりしてください。4月からの「自由な時間」を利して再会しよう。お疲れ様でした。

 願わくば「中学校の校長」を最後にして教員人生を送りたかった。小学校での居心地が悪かった訳ではない。やっぱり、愚痴は小生には似合わない(笑)。そんな感情が昂ぶるメールであった。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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